HOME

発表されたテーマ
    大空の会より    
子どもを亡くした家族に捧げるテーマⅢ




『となりのトトロ』その霊的世界

『シルバー・バーチの霊訓(三)』より

死とは何か?

アウト・オン・ア・リムへの挑戦

『シルバー・バーチの霊訓(二)』より

マザーテレサその愛

天国からのメッセージその2

霊能力の考察

写経にトライ!

『人間イエス』より

大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅣ

 大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅢ

 大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅡ

大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅠ



                      『となりのトトロ』その霊的世界

 『となりのトトロ』は、1988年に公開されました。そして、それからも人々に愛され続け、その人気は今も衰えを知りません。何故に、このように人々を 惹きつけて止まないのか、それを探ってみたいと思います。

 『となりのトトロ』では、子どもに見えて、大人に見えない物がたくさん出てきます。
 物語は、お父さんとサツキとメイが、ある村の借家へ引越すところから始まります。
 村の子どもに、お化け屋敷と呼ばれているその借家には、早速に小さくて丸くて真っ黒で、でもとてもかわいいお化けのような物がたくさん出てきます。それ を見てしまったサツキとメイは、恐がりながらも興味津々で、追いかけます。
 借家を管理しているお隣のおばあちゃんがやって来て、その真っ黒い物について教えてくれます。
「これは、ススワタリが出たな。だ~れもいない古い家には居て、そこらじゅう、すすとほこりだらけにしちゃうのよ。小さい頃には、ワシにも見えたが、そう か、あんたらにも見えたんけ~。」
 引越しの片付けも終わったある日、外で遊んでいたメイは、小トトロを発見、中トトロも見つけて、彼等を追いかけて行くうちに、トトロに出会います。それ からサツキとメイとトトロの、ほのぼのとした交流が始まります。
 そしてメイが迷子になった時、困りは果てたサツキは、トトロにメイを捜してくれるよう頼みます。そうすると、トトロはネコバスを呼んでくれました。
 ネコバスは、田んぼの向こうの山の方から現われて、列車が通過する寸前の線路を横切り、農作業をしている人達の間を通り抜け、道を歩いている人達のすぐ 近くを走ってやってきました。
 でも人々は、ネコバスが通り過ぎた風には気が付くけれど、ネコバスには気付かず、
「みんなには見えないんだわ。」
と、サツキは言います。
 トトロは、サツキにネコバスに乗るよう勧め、ネコバスは行先の表示を「めい」と変えて走ります。サツキを乗せたネコバスは、森の中を抜け、鉄塔を登り、 高圧線の上をすごい速さで走って行きます。途中にいた犬は、ネコバスが見えるようで、ネコバスに向かって激しく吠えます。こうしてサツキは、迷子のメイの ところへ行くことが出来ました。
 サツキやメイや犬には、トトロやネコバスやススワタリは見えても、大人達はもう見えなくなってしまっているようです。『となりのトトロ』の最後に歌われ ている歌でも、「子どもの時だけ、あなたに訪れる不思議な出会い・・・」と歌われています。

 サツキとメイのお父さんは、もう霊は見えないけれど、霊的現象に理解を示します。
 引越した時に、サツキが借家にお化けが住んでいるのじゃないかと恐がって、
「お父さん、やっぱりこの家、何かいる!」
と訴えた時も、
「そりゃあ、すごいぞ! お化け屋敷に住むのが、お父さんの子どもの頃からの夢だったんだ。」
と、気持ち悪がったり、恐がったりしませんでした。
 また、メイがお父さんにトトロのことを話した時も、
「メイは、きっとこの森の主に会ったんだ。それは、とても運がいいことなんだよ。」
とお父さんは、トトロを否定しませんでした。
 だから子ども達も、彼女達がもつ霊性の本能を抑えてしまわず、トトロやネコバスやススワタリが見えたのでしょう。もし、そうでなかったらトトロやネコバ スにメイ捜しを手伝ってもらえず、もっと大変な事になっていました。

 『となりのトトロ』は、テレビのない時代と設定されています。薪を焚いて風呂を沸かし、たらいで洗濯し、夏には蚊帳を吊って寝ます。田んぼにはトンボが 飛び、舗装されていない道路が通り、大きな楠が村を見守るようにあります。
 この頃から比べると、今の人達は、電気製品が行き届いた機械化されたような生活をおくり、頭の中はテレビやパソコンや氾濫したようなあらゆる情報に、振 り回されているように思います。その結果、人間本来の生き方から離れていき、大勢の人のいる街に暮していても、孤独を募らせているように思います。
 『となりのトトロ』の時代は、近所付き合いが濃厚で、みんなが自然と共に生きているように見えます。それでこそ、心の平穏を保て、人との温かい触れ合い を楽しめ、更には自分らしく生きられるように思います。
 今の時代にはない人間の本当の贅沢を、『となりのトトロ』は再現しています。

 これまで多くの宮崎駿監督の作品が公開されましたが、どれも絶大な人気があります。その所以は、子どもだった頃へのノスタルジー、人間本来の自然と一体 となった生、忘れてしまった霊的現象など、私達がどこかへ置いて来てしまったようなものを、思い起こさせてくれるからかもしれません。だからこそ、本来の ものを求めるように惹かれ、世上の雑事も忘れさせた心の癒しへと導いてくれるように思います。

                                                    瀬野彩子

                参考文献
       『となりのトトロ』宮崎駿監督作品(スタジオジブリ)
       『小説となりのトトロ』宮崎駿・久保つぎこ(徳間書店)






『シルバー・バーチの霊訓(三)』より

1920年代後半から50年余りにわたり、この 地球上に古代霊シルバー・バーチが降臨、人々に霊的教訓を与えました。それは、霊媒モーリス・バーバネルを通じて、イギリスの新聞王と呼ばれたハンネン・ スワッハーのホームサークルで行われましたが、新聞にも連載され、世界に伝えられていきました。
 そして、この日本においても『シルバー・バーチの霊訓(一)~(十二)』として刊行され、その人気は今も衰えを知りません。
 今回は、その『シルバー・バーチの霊訓(三)』を取り上げてみました。その中には、シルバー・バーチが私達に贈ってくれたとしか思えないような言葉が在 り、私達を鼓舞しようとしてくれています。

 「・・・ 生を正しい視野で据えていただきたい。その中で死が果たしている役割を、理解していただきたいと思います。人間はあまりに永いあいだ死を生の 終わりだと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私どもは是非とも、死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別 れと見なす無知を取り除きたいのです。
 そして、死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを、理解 していただきたいのです。死ぬということは、生を失うことではなく、別の生を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由 な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられる豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。
 死の関門を通過した人は、カゴから放たれた小鳥のようなものです。思いも寄らなかった自由を満喫して羽ばたいていくのです。人間が死と呼ぶところの看守 によって、肉体という名の監獄から出させてもらい、(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒 もない、より大きな生へ向けて旅立ったのです。霊本来の限りない自由と崇高なよろこびを味わうことになるのです。
 苦痛と老令と疲労と憂鬱から解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。そ の悲しみは利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでく れていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。
 もしも霊的心理に目覚め、無知の翳みを拭い落とした目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すこ とはできません。愛は常にに愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは、無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段 と身近な存在となっていることを、確認できるはずです。霊的存在を語ることから生じるよろこびを、充分に味わうことができるはずです。
 皆さんも、いずれは寿命を完うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために、尽くして古くなった衣服を脱ぎ捨てる時が来ます。霊が成熟し て次の進化の過程へ進む時期が来ると、自然にはげ落ちるわけです。
 土の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人々と再会することができます。その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重 苦しい雰囲気は取り除くことです。
 そして一個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげることです。」

 シルバー・バーチによる死の現実と考えが、書き綴られています。しかしそれは、これまでの地球上の歴史で持ち続けてきた死の概念を、根底から覆していま す。
 霊の世界とは、悠久の時をもつことが出来、想念において物事を成し、広大な宇宙を一瞬にして突き抜けてしまうほどに自由であると言われます。そのような 霊から見れば、私達は今生の記憶しか持たず、目の前で起きたことしか理解できないような、本当に小さな世界で生きています。しかしそれは、大いなる天界よ り離れ、肉体を待たされて苦や悲を経験し、肉体でなければ味わえない痛みや嘆きを知るためでもあります。
 そしてそれを経験できたのならば、天界の素晴らしさを携えている我身の潜在意識を開き、あるいは書物に綴られた先人達や高位霊の教えを会得することに よって、この生の意味を知り、さらにその意味の真髄に近付くよう、より良き今生としたいものです。
 シルバー・バーチの霊訓は、これからも人々に受け継がれ、語り継がれ、混迷する人々の導きとなっていくことでしょう。

                                                       瀬野彩子

               参考文献
         『シルバー・バーチの霊訓(三)』潮文社
         『古代霊は語る』潮文社




死とは何か? 

『かみさまへのてがみ』という、子ども達が神様に宛てた手紙を集 めた本があります。エリック・マーシャルとスチュアート・ハンプルによって、子ども達の手紙が集められましたが、アメリカ合衆国では、128の新聞に連載 され、NBCテレビの特別番組にもなって話題になりました。子ども達の気持ちをより表すために、手書きの筆跡をそのまま生かし、綴りや文法の誤りも直さな かったこの本は、百万部以上も刊行されました。

 その中から、神様へ宛てた子ども達の手紙を、少しだけ取り上げてみましょう。
「あなたは、どうして じぶんが かみさまだって わかったんですか?
 シャーリーン」
「かみさま もし しんだあと いきるんなら、 どうして にんげんは しななきゃいけないの? ロン」
「かみさま あなたは おかねもち? それとも ただ ゆうめいなだけ? スティーブン」
「かみさま どうして いちども テレビに でないの? キム」
「かみさま、あなたは ほんとに なんでも できるの? ぼくも そうだと いいな マービン」
「いつも どようびには あめを ふらさずに おくことぐらい どうして できないの? ローズ」
「どうして そらを あおくして、くさを みどりに したのですか? それしか いろがなかったの?」

 子ども達は、率直に神様に問いかけ、注文を付けて、神様が手紙を見たら、驚くようなものばかりです。かわいく、純真な手紙ですが、大人は鮮烈さを感じ、 これまで気付かなかった見方と、新たな疑問に直面して、その解答を見つけるのも容易ではありません。
 そして、特に私達にとっては、「かみさま もし しんだあと いきるんなら、 どうして にんげんは しななきゃいけないの? ロン」という手紙は、衝 撃的にさえ感じます。
 このところの日本の風潮として、死んだ後にも意識はあり、その意識は生き続けるという考えの人が多いようです。しかし、本当に死んだ後にも生きるのなら ば、このロン君の手紙のように、なぜわざわざ死というものを設定しなければならないのでしょうか。
 森羅万象をつくったとされる神という存在は、肉体を持って生きる生という世界と、肉体から離れた死という世界をつくりました。しかも肉体には使用期限が あり、どんなに長く生きてもせいぜい百年あまり、短い期限の人もいます。そして人が肉体より離れると、遺る者達は悲壮な思いに耐えなければなりません。な のに、なぜ神は生と死というふたつの世界をつくり、離ればなれにさせて、こうも私達を苦しめるのか。

 トロント大学社会学部教授だったイアン・カリー博士は、四千人以上の前世退行療法を手掛け、この世の雑念を取り払った被験者達から様々なことを教えられ ました。カリー博士は、
「〈人は、)物質界と非物質界を通して、知識と悟りを追求しているということだ。この探求は、魂が学習と浄化のために、肉体の中に入ったり出たりの循環を すること〈生まれ変わり〉で、促進される。」と語ります。(世界的ロングセラー『あなたは死なない』より)
 また、数千人もの人々を過去生記憶へと導き、詳細な研究を積み重ねていった臨床心理学者のグレン・ウィリストン博士は、
「死と生まれ変わりは、眠りと目覚めにたとえることができる。生まれ変わるということは、活気が蘇り、新しいアイデアが沸き、新しい方向に挑戦する決意と 意欲に満ちた、さわやかな朝の目覚めを迎えるようなものである。」と語ります。(世界的ベストセラー『生きる意味の探求』より)

 私達の魂が素晴らしくあるためには、生と死というふたつの世界を、行ったり来たりすることが不可欠のようです。故に神という存在は、ふたつの世界をつ くったということになります。
 しかし、この世に出てくる誕生には喜びがありますが、この世から去る死には深い悲しみがあります。
 古代霊シルバー・バーチは、死について、こう話してくれます。
「死ぬということは、決して悲劇ではありません。・・・死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。苦しみから解き放た れた霊本来の姿に戻ることが、果たして悲劇でしょうか。天上の色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛 むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駆けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたがたは悲劇と呼ぶのですか。」
 また、シカゴ大学医学部精神科教授だったエリザベス・キューブラー・ロス博士は、
「死とは終わりではなく始まりです。死とは新しい世界で新しく誕生するに他ならないのです。誕生を恐れる必要がないように、死を恐れる必要はありませ ん。」と、言います。
 そして、マザーテレサは、
「死とは、自分の生まれたところに帰ることを意味するものです。ですから、死とは美しいものなのです。この地上からいなくなってしまうことは、とても寂し いことなのですが、神のもとに帰って行ったのですから、それを美しいものとして受け止めることができるのです。」と、死について教えてくれています。
 私達人間が、誕生と死というものを通過し続けなければいけない意味を得、死の認識を深めれば、死に対する思いも変わっていくように思われます。

 神様はロン君に、
「人の魂はずっと生き続けるけど、もっと立派な魂になるために、生まれたり、死んだりを繰り返して、修行をするんだよ。」と、答えるのかもしれません。

                                                    瀬野彩子


         参考文献
『かみさまへのてがみ』(サンリオ)
『あなたは死なない』イアン・カリー(PHP研究所)
『生きる意味の探求』グレン・ウィリストン&ジュディス・ジョンストン(徳間書店)
『古代霊は語る』(潮文社)
『死ぬ瞬間』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
『マザー・テレサ愛という仕事』(青春出版社)

             

                    アウト・オン・ア・リムへの挑戦

 現在、日本でも世界でもスピリチュアルブーム、その発端となったのがシャーリー・マクレーン著の『アウト・オン・ア・リム』です。
 マクレーンは数々の映画に出演し、アカデミー主演女優賞にも輝いた世界的スター、そして彼女の書いた『アウト・オン・ア・リム』は、世界的ベストセラー となりました。しかし、その内容の過激さに世界が震撼したと言われますが、それほどに世界に影響力を及ぼした本です。
 『アウト・オン・ア・リム』では、輪廻転生、チャネリング、前世、瞑想、体外遊離体験、UFO、宇宙人、精霊、神、気付き、不倫等マクレーンの体験した 様々な事が書かれています。そこに彼女の文筆力も加わり、読み進むうちにアウト・オン・ア・リムの世界へと惹き込まれていきます。その中で最も印象的なの は宇宙人の女性が登場するところではないでしょうか。
 ある時マクレーンは、彼女のツインソウルであるデイビッドに呼ばれて、UFOがよく出没するというペルーの山奥へ行きました。そこでデイビッドからいろ んな霊的な話を聞きますが、彼はその地で出会ったマヤンの話も聞かせてくれました。マヤンは、すばる座からやってきたという宇宙人の女性です。彼女は本当 に小柄で、真っ黒な長い髪、すばらしく白い透き通った肌、そしてアーモンド形の真っ黒な目をしており、まるで流れるような感じの動き方をしたそうです。す ぐにデイビッドは、地球人にはない魅力を持つマヤンに惹かれました。
 それから、マヤンはデイビッドに大宇宙の霊性を授けます。しかし、それはデイビッドよりマクレーンへ、そしてマクレーンがそれから書くことになる著書、 『アウト・オン・ア・リム』により世界の人々に伝わることが既にわかっているようでした。
 マヤンによると、
<ひとりひとりの人間の魂ほど大切なものはなく、それぞれの魂には全宇宙の価値が宿っています。
 人類は螺旋状に進化するように作られており、一見我々はちっとも進歩していないかに見えますが、実はそうではありません。一回ずつこの世に生まれてくる 度に、自分にはわからなくても少しづつ高いレベルに移行していきます。そして一人の魂が少しずつでも進化すれば、宇宙全体の仕組と働きに影響を与えます。 ひとりひとりの魂は、それほど大きな意味を持っているのです。
 だけど地球人は、自分の頭でわかることしか理解しない習慣がついています。そのため自分の認識の枠を打ち破り、型にはまった考え方で自分に課した限界を 突き抜けて、未知の次元へ想像力を飛躍させるのが困難になっています。
 地球外の人間は、霊的領域の働きを知っている点で、地球人より優れています。
 頭で人の霊性を理解するだけでは不十分で、実際その霊性を生きなければいけません。これは宇宙のすべての魂に要求されており、それが生きるということの 目的なのです。>
ということでしたが、それは高次な星の人から地球人への貴重なメッセージのように思われました。
 また、マクレーンはケビンという霊媒を介して、ジョンという霊と話した場面もあります。
 その中でジョンは、
「真理というものは簡単なものだ。人間がそれを、ことさら難しくしているだけだ。真理というものは、教訓を学ぶように頭で学ぶことはできない。真理という ものは、自分で自分の内に経験して納得してからでなければ、その先へ進むことができない。真理を学び、かつ経験することは一種のあがきとも言えよう。あが くことによって目が開かれるのだ。人間の本来の住処(すみか)は地球上ではないことも、記憶にとどめておくがよい。人間の本当の住処はエーテルなのだ。個 人個人は生まれた時から神の真意を知っているのだ。ただ、それを複雑にして、自分が知っていることを忘れているのだよ。」
と言っています。
 ジョンは、マヤンの言う「・・・霊性を生きなければいけない・・・」と同じ意味のことを言っています。すべてのことは頭だけでは理解出来ず、苦しみや悲 しみさえも経験して、それを納得するために学び、納得に至ることによって先に進めるという定理を教えてくれています。
 そして私達が学び、本当の理解へと達していくことが、宇宙全体をより良く動かす力となっているようです。
 今、霊性と自意識の解放、人間のエネルギーをプラスの方向に使いたいという真剣な思いを持つ人は多く、世界中に霊性を高めようというコミュニティーが発 生しています。
 一方、科学も苦闘を続け、科学者は宇宙の成立をビッグバン説で説明せざるを得なくなりました。宇宙は巨大な爆発によって、約二百億年前に瞬時で出来上 がったという説です。これで天文学、科学、聖書の創世記の話がすべて一致しました。
 科学者の次の質問は、始まりの前には何があったのだろう?ということですが、現在では無から自然を造り出した神の意志があったに違いないというのが科学 者の一応の結論です。
 NASAのロバート・シャストウ博士の論文は次のように述べられています。
「理論の力を絶対的に信じている科学者にとって、事態は悪夢で終わってしまった。苦労して未知の山に登り、最高峰のすぐ下の岩を必死でよじ登って頂上をの ぞいた時、彼は何世紀もの間、そこに座り続けていた神学者に、にこやかに迎えられたのである。」
 霊性の探求とその学びは、これまでアウト・オン・ア・リム(木の上の果実を取るには、危険を冒して枝の先まで行かなくてはならない)でしたが、シャー リー・マクレーンの書いた『アウト・オン・ア・リム』などのおかげで、地球全体の霊的レベルも上昇してきており、もはやこれからはアウト・オン・ア・リム ではなく、堂々と学びを深めていけそうです。

                                                     瀬野彩子

       参考文献
『アウト・オン・ア・リム』 シャーリー・マクレーン(角川文庫)
ホームページ『山川紘矢・亜希子のSpiritual World』







『シルバー・バーチの霊 訓(二)』より

 1920年代後半にイギリスのある青年を霊媒とし、古代霊シルバー・バーチが降来、人々に珠玉の霊訓を授けはじめ、それは50 年余りの長きに渡りました。そのシルバーバーチの霊訓は当時の新聞にも掲載され、書籍として刊行されました。そして、それからも世界中で愛読され続け、今 の日本でも『古代霊は語る』(潮文社)、『シルバー・バーチの霊訓(一)~(十二)』(潮文社)として出版されています。
 シルバー・バーチの霊訓は、ハンネンスワッハー氏のホームサークルで語られましたが、数名のレギュラーメンバーの他によくゲストが招かれました。
 その日のゲストは、数年前に娘を亡くし、近頃に夫を事故で亡くした婦人でした。彼女は、ローマカトリックの信者でしたが、他界した娘からの通信で死後の 存続を信じるようになっていました。
 シルバー・バーチは、婦人を慰め、勇気づけの言葉を与えます。
「この度の事は、あなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのよう に知識と理解とをもって対処できる方がどれだけ幸せでしょう。
 もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。そうしたものが地平線上に現れても、すぐに消えていくことに気付かれるでしょう。
 そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰でななく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界から の力も注ぎやすいということです。
 弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の模範を垂れ、あなた より不如意な境遇のもとで、迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場あるいは避難場所を見出す ことができるようにしてあげてください。
 あなた自らが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、 そのおかげで多くの仕事を成し遂げることができることの証しとなるのです。・・・」
「主人に私が何か力になってあげられることはあるでしょうか」と婦人が尋ねました。
「愛の念を送ってあげてください。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。」
シルバー・バーチは霊界との交信を薦め、その方法も教えてくれています。
「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって 最も近付きやすい時です。静寂の時こそ・・・絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は雑音のラッシュの中に置かれており、それが霊との通信を妨げ、 近付くことを不可能にします。ですから少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫することです。」
 また、霊界との交信により豊かな人生が待っていると教えてくれます。
「霊のオーラとあなたのオーラが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入って来ます。どれほど多くの愛があなたのまわりを包んでい るか、それが判って頂けないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。
 人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判定します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ないことです。しかし本当は身のまわりの目に見えない ところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える 者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡智と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべきことがあります。そしていずれおやりになる でしょう。」
 これらは娘と夫を亡くした婦人を慰め、その上に奮い立たせ、そればかりでなく、数十年という時を経て、このシルバー・バーチの霊訓に触れることの出来る 私たちを励ましてくれているようです。
 あらゆる言葉で霊界を、そして現世を生きることの苦しさの意味を説いてくれるシルバー・バーチの霊訓ですが、それは永遠に尽きることなく愛され、人々の 生きる糧となってくれるように思います。

                                                   瀬野彩子
      参考文献
『シルバー・バーチの霊訓(二)』(潮文社)




 マザーテレサその愛

 マザーテレサは、1910年8月26日にマケドニアのスコピエでアルバニア人夫婦の娘として生まれ、本名をアグネス=ゴン ジャ=ボヤジューといいます。
 ちなみに、マザーテレサとは修道女としての呼び名です。
 マザーテレサの父のニコラは、建築請負業と食料輸入を共同経営で手広く営んでいました。しかしながら、彼女が9歳の時に45歳の父は毒殺され、その資産 は共同経営者達に横領され、遺族にはただ家が遺されたのみでした。母のドラは、悲しみのあまりしばらくは呆然自失となりましたが、そのうちに繊維製造業を はじめ、三人の子どもを育てていきました。
 マザーテレサが12歳の時に、スコピエにあるレトニスの聖母マリア像の前で、初めて神の声を聞き、それに答えるべく自分自身を神の奉仕に捧げることを心 に誓いました。
 その6年後の18歳の時に、家族および故郷と別れ、修道女となりました。そしてインドに趣き、彼女の修道生活が始まります。
 その頃のインドは、独立に向けて苦しい歩みを進めており、マハトマ=ガンジーが大衆的非暴力抵抗運動を全インド的に展開していました。1939年には第 二次世界大戦の暴力に巻き込まれていき、その後もヒンズー教徒とイスラム教徒との紛争が生じ、カルカッタの街路を血の海にかえ、食物や日常品の運送は完全 にストップするという事態も生じました。
 1946年の9月10日、マザーテレサはダージリン行きの汽車に乗っていました。その時、彼女はまた神の声をはっきりと聞きました。
 「すべてを捧げてスラム街にまであのお方、キリストに従い、貧しい人の中で、その方に仕えよ。」
 と。
 それは、今の修道院を出て、貧しい人々と共に住むことを意味していました。
 それからマザーテレサは、新しい修道院を創設し、修道服として水色の縁取りのある白いサリーを身にまといました。
 そして、死を待つ人の家、子どもたちの家、ハンセン病の巡回診療所などをつくり、貧しい人、苦しい人、癒されない人を助けていきます。
 インドには路上で生まれ、路上で死んでいくという、おびただしい数の路上生活者がいます。
 マザーテレサとシスター達は、誰にも看取られずに路上で死んでいく人を死を待つ人の家へ運び、身体を洗い、衣服を着せ、食べ物と薬を与えます。
 ある日、貧民街のゴミの中から虫に半分食べかけられていた男性を救い出し、死を待つ人の家へ運び世話をしました。
 その男性は、
「私は、道端で動物のように生きてきたが、愛と看護の手に囲まれて、天使のように死のうとしている。」
 という言葉を遺し、そして天使のように死んでいきました。
 またある日マザーテレサは、死を待つ人の家の老婆に、
「さあ元気を出すのよ。私はあなたに生き続けて欲しいの。あなたは、この世に生を受けてきた大切な、大切な人なんですよ。」
 と老婆の力なく、だらりと垂れた手を握り、焦点を失って虚ろになっているその瞳をじっと見つめていました。
 マザーの声がとどいたのか、むしの息をしていた老婆の口がゆっくりと開いて、言葉を押し出しました。
「あ・・・」
マザーテレサが、
「さあ、しっかりするのよ。言ってごらんなさい。」
と励まします。
 老婆は、とぎれとぎれとなりながらも、
「あ・・・りが・・・とう。」
と言いました。
 そして、老婆の目はとじられ、呼吸は止まりました。
 マザーテレサの写真家として知られる沖守弘氏は、その光景を見ていましたが、いまわの際に、はじめて人間として認められたことへの歓びが老婆から感じら れたと言います。そして、老婆の辛く長かったであろう人生の旅路を想い、マザーテレサが死を待つ人々に何を与えているのかを肌身で知ったような思いがした そうです。
 マザーテレサの修道院は、世界105カ国に504を数え、4000人を越えるシスターが属しています。(日本にも東京と名古屋と別府にあります)
 シスター達は裕福な家庭の子女が多く、彼女達は家、財産も捨て、貧しい人、病気をもつ人、苦しい人の世話にその生涯を捧げます。彼女達には修道女として のサリー2枚と洗濯用のバケツ1つが与えられますが、私物はほとんどありません。
 彼女達は、何故にシスターになることを選択し、マザーテレサのように生きようとするのか、あるシスターはこう言います。
「ここには、シャンデリアもおいしいケーキもない。だけど、私にとっては、昔、お嬢さんでいた時よりも数十倍も楽しいの。たくさんの苦しんでいる人が私を 待っていてくれる。私は貧しい人、苦しんでいる人の一人になることが出来たのよ。私は何も持ってないけれど、私の胸にはこんなに愛が溢れているわ。」
 沖氏は、
「人々はシスター達に、悲壮感とかある種の翳りといったものを連想するかもしれないけれど、それは間違っている。シスター達は決して悲壮な覚悟で仕事をし ているのではない。社会奉仕とか、慈善事業をしようとしているのでもない。まして、世間の評判になろうなどとは、全く思っていない。」
と言います。
 マザーテレサは、神の啓示を受け、多くの人を助けるようになりましたが、いつも神に
「・・・私をあなたの平和の道具としてお使いください・・・。」
 と祈っています。そして、
「神は、私達にさせたいとお望みになったことを、示してくださいます。」
 と言い、そのように行動しています。
 まさにマザーテレサは強い霊媒であり、自分の身を通して神の意向を反映することを何よりの喜びとしています。シスター達も、マザーテレサと同じようにそ の喜びに満ち溢れています。
 「死を待つ人の家」では、シスター達がにこやかによく笑い、死を待つ人々がいるところとは思えないほどに明るく華やいだ雰囲気があります。
 そして、マザーテレサは、
「私達の仕事は、誰かに惜しみなく愛をあびせること」
 と言っています。
 シスター達のように死を待つ人の家で働けなくとも、
「誰かのために、ほんのちょっとした笑顔を見せたり、ちょっと訪ねてみたり、ランプの火をともしたり、目の見えない人のために手紙を書いてあげたり、炭の バケツを運んだり、サンダルを差し出したり、新聞を読んであげたりするようなことは、それ自体、小さなこと、ほんのささやかなことですが、実際に私達の神 の愛の行動となるのかもしれません。」
 と、マザーテレサは教えてくれます。
 マザーテレサは、1997年9月5日(日本時間9月6日午後6時)に、永眠しました。
 ヒンズー教とイスラム教と仏教の混在する国、インドにキリスト教徒のマザーテレサが入り、人々の救済活動を続け、かなりな反発や脅迫もありましたが、彼 女の葬送はインド国葬となり、世界から要人も参列しました。
 「歩く聖人」、「二十世紀最後の聖女」などと呼ばれたマザーテレサは、本当にその通りの一生でしたが、彼女の人となりは、素早い決断力と素晴らしい行動 力をもつ肝っ玉母さんという感じの人だったそうです。
 きっと今ごろは、天国から貧しい人、苦しい人、悲しい人へ、お母さんのような慈愛をおくり、励ましてくれているような気がします。

                                                  瀬野彩子

      参考文献
『マザーテレサ』和田町子(清水書院)
『マザーテレサ あふれる愛』沖守弘 (講談社)
『マザーテレサの「愛」という仕事』ホセ・ルイス・ゴンザレス‐バラド ジャネット・N・プレイフット編(青春出版社 )
『マザーテレサ 愛のこころ最後の祈り』ベッキー・ベネネイト(主婦の友社)
『マザー・テレサ ほんとうの愛』 綾野まさる/作 (ハート出版)
『マザー・テレサ愛の軌跡』ナヴィン・チャウラ (日本教文社)
『マザー・テレサ その人と愛 沖守弘写真集』沖守弘(青也書店 )




天国からのメッセージその2 

 かなり多くの人が経験している愛する故人とのコミュニケーション。それは、天国からの愛のメッセージです。
 『生きがいのメッセージ』の著者、ビル・グッゲンハイムとジュディ・グッゲンハイムは、アメリカとカナダに住む2000人の人々に面接し、3300件を 越える故人からのメッセージを収集しました。その中には、故人からその元気な様子を伝えたり地上の人を励ましたりばかりでなく、故人からのメッセージによ り助けられたというものもありました。

 カンザス州に住むウィルマは父親を心臓発作で失って1ヶ月後にこんな体験をしました。
[主人が脚を骨折して動けなくなりました。うちは農家で子どもたちもいましたから、私があらゆる仕事をこなさなきゃならなりません。
 その晩も夕食をすませた後、町までひとっ走り食料品の買出しに出かけました。車の中には私一人だけでしたから、運転しながら、とりとめもない考えにふ けっていました。
 かなりのスピードで丘を下っている時、ふいに父の声が聞こえました。
 「ウィルマ、次の角を曲がるんだ。ほら速く!」
 それは、まるで、父が隣に座っているみたいな、はっきりした声でした。
 慌ててその声の通りに角を曲がってしまいましたが、こんなに急いでいるのに回り道してしまって頭がどうかしているのかしらと思いました。
 しかし、帰り道で近所のおかみさんが、
 「さっきあんたが角を曲がったのを見て、ほっとしたよ。橋が落ちているのよ。」
と、言いました。
 二本の大きな柳の木と低木の茂みに覆われるようにして、手すりも何もない平らな木造の橋がかかっていましたが、その橋がすっかりなくなっているんです。 折れた板が突き出してたりもしてなかったから、その真上に来るまで橋が落ちているなんて絶対に気付かなかったでしょう。
 父の声を聞いて角を曲がらなければ、時速百キロで確実に空中に飛び出していたでしょうね。
 父の警告がなかったら、命はありませんでした。]

 フロリダ州のロビンはカレッジの一年生、ある夜、寮の自宅で何か夢を見ながら眠っていました。その彼女の夢の中へ亡き祖父がまるでテレビ番組の臨時 ニュースを伝えるかのように割り込んできました。(参照:第8回大空の会のテーマ「夢現象について」)
[祖父は、私のことが心配で仕方がないという顔でした。オーデコロンと煙草の匂いもしたし、体の温かみも感じたんですよ。
 
祖父は
 「窓に鍵をかけなさい。用心を怠ってはならないよ。窓に鍵をかけるんだ。」
と、明らかに警告でした。私はびっくりして目が覚めました。
 ベッドに起き上がって周囲をながめました。部屋の窓の一個所は中庭側に面し、もう一個所は非常階段に面しています。ベッドから出て、これらの窓に鍵をか けました。
 三十分くらいたったでしょうか、廊下の向こうの部屋で悲鳴が上がりました。男が非常階段から侵入してきて、どうやらまず私の部屋の窓を試し、そのあと に、向こうの部屋へ行ったらしいです。その男は、あとで捕まりましたけど。
 祖父は、まさに助けが必要だった時に来てくれたわけです。その時わかりました。祖父は永久に私のそばにいてくれるんだって。]

 ありとあらゆる方法で天国に行った愛する人達は私達にその存在を示してきます。視覚、聴覚現象だけでなく、ラップ音や電気関係のものを動かすなどの物理 現象もよく聞かれる話です。
 天国から私達を見て、自分達が天国に行ったせいで苦しんでいるならば、幸せな様子を伝え、落ち込んでいるならば、励ましをくれます。(参照:第19回大 空の会のテーマ「天国からのメッセージ」)
 そして、危機なる事態が迫った時は助けてくれるようです。
 しかし、ウィルマやロビンのようにはっきりとそれを感じとれなくても、天国に行った人達は私達から知らず知らずの内に私達の意識に働きかけ、助けてくれ ているからこそ、今の私達があるようにも思います。
 きっと、天国に行った人達は、自分達が天国で幸せに暮らしているように、私達に地上で幸せに暮らすことを望んでやまないのでしょう。

                                                      瀬野彩子


           参考文献
『生きがいのメッセージ』(徳間書店)ビル・グッゲンハイム&ジュディ・グッゲンハイム
『あなたは死なない』(PHP研究所)イアン・カリー






                       霊能力の考察
 霊能力とは、主 に天国と地上との媒介の能力です。
 愛する人が天国に旅立つと、再会、会話には霊能力が必要となります。
 霊能者と呼ばれる人に見てもらう人もいれば、亡くなった子どもの友達から天国からのメッセージを受け取ったというようなこともよく聞きます。あるいは、 愛する人が亡くなってから、急に霊能力がついたという人もいます。
 しかし、現存する最高の霊能者のひとりであるジェームズ・ヴァン・プラグ氏はその著書の中で、
 「わたしたちは誰もが生まれながらに霊能者(霊媒)です。」
 と、宣言しています。
 「いわゆる霊能者と一般の人の違いはゼロか百の違いではなく、その間のパーセンテージの違いであり、ごく普通の人でも10パーセントほどは持っていま す。霊能者とは霊的感覚が人並み以上に広がっている人のことで、平均して50パーセントから60パーセントといったところ。80パーセントもある人は、き わめて優秀な霊能者です。」
 言葉を発することが出来るようになった幼い子どもは、大人が耳を傾けさえすれば、お腹の中にいた時のこと、天国のこと、過去世のことなどを語ることはよ くあります。(参照:第27回大空の会のテーマ「中間世を語る子ども」)そして、大人には見えないような霊を見ていることも多いようです。霊界からやって きたばかりの赤ちゃんは、ほとんど100パーセントに近い霊能者かもしれません。しかし、彼らは物質主義的価値観に染まった大人達の中で、唯物論的な見方 を次々と植えつけられ育っていき、もって生まれた霊能力はどんどん衰えていきます。
 けれど、プラグ氏はその霊能力について別の角度からも見ています。
 「霊能力とはひとつの道具で、霊の世界からなんらかのメッセージを伝えるために利用する仲介なのです。霊能力の目的は、わたしたち自身のものとは異なる 思考なり言葉なり感情を呼び込むこと以外にありえません。芸術家、音楽家、医師、料理人、そしてほとんどあらゆる生物が想念を吹き込まれています。多くの 場合、わたしたちはそれを自分自身の考えだと思い込んでしまいますが、しばしば霊界から送られているのです。独創的な創造力は大半がこの想念から生まれま す。創造性はなにも芸術の分野だけに限られたことではありません。みごとな回転を見せるバレリーナと同じようにメスを使う外科医もまた独創的なのです。」
 古代霊、シルバー・バーチ(参照:第24回大空の会のテーマ「『古代霊は語る』より」)は、こんなことを教えてくれています。
 「地上人類はいま精神的発達の段階を通過しつつあるところです。このあとには必然的に心霊的発達の段階が来ます。霊能者とか霊媒と呼ばれる人が、先駆け であることに疑問の余地はありません。進化のはしごの上を行く、いわば先駆隊です。そのうち心霊的能力が人間の当たり前の能力の一部となる時代が来ま す。」
 そして、
 「星は寸分の狂いもなくその軌道を回り、潮は間違いなく満ち干きを繰り返し、四季は一つ一つ巡りては去り、それぞれ荘厳にして途方もなく雄大かつ崇高な る宇宙の機構の中での役割を果たしております。その大自然の営みの原動力である霊力と同じものを自分を通して働かせ、そうすることであなた自身もその営み に参加することができるのです。神からの遺産を受けついだ霊的存在として、あなたも神の一部なのです。」
 と、その展望も教えてくれます。
 また、このところお茶の間に流れるテレビで大活躍の霊能者、江原啓之氏は、三歳の息子を亡くし嘆いている母親にこういうことを知らせてくれました。
「あなた自身も、実は(天国に行った)息子さんとしょっちゅう会っていると言ったら驚くでしょうか。でも本当です。睡眠中に会っているのです。人間の魂 は、睡眠中、幽体離脱してあの世に行っています。あなたも寝ているあいだに息子さんに会いに行き、お話したり、いっしょに遊んだりしているのです。それを 夢として覚えている場合もありますが、忘れることがほとんどでしょう。しかし、息子さんのほうは、いつもあなたが来てくれることをちゃんとわかっていま す。」
 ごく普通の人間だと思っている人が、本当は霊能力を駆使し、幽体離脱して天国の愛する人と会っているそうです。更に、
 「息子さんはこうして『生きて』、あなたたち家族を見ています。ですから、こちらからもどんどん話しかけてあげてください。仏壇やお墓や写真に向かって でもいいですし、家事などしながらでも、道を歩きながらでもかまいません。思いさえ息子さんに向けていれば、どこからでも通じます。できれば声に出して話 しかけましょう。そのほうがよく伝わります。」
 と、たとえ目に見えなくとも、天国の人と交信をもつ霊能力の使い方を教えてくれています。
 誰もの中に存在する霊能力ですが、その霊能力とは、天国と地上をより近くするためにあるのかもしれません。
                                                     瀬野彩子
       参 考文献
『もう一度会えたら』ジェームズ・ヴァン・プラグ (光文社)
『天国との会話』ジェームズ・ヴァン・プラグ (光文社)
『古代霊は語る』近藤千雄編 (潮文社)
『シルバー・バーチの霊訓』(潮文社)
『人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅』近藤千雄(ハート出版)
『あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング』江原啓之(中央公論新社)
『スピリチュアル・メッセージ』江原啓之(飛鳥新社)
『スピリチュアルな人生に目覚めるために』江原啓之(新潮文庫)





 写経にトライ!(釈迦の説法「般若心経」)

 写経といえば、 最もポピュラーなものに般若心経があります。般若心経は日本で大変よく知られているお経ですが、その意を解せば、より心を込めて写経できるのではないで しょうか。

 般若心経を唱えた釈迦は、約2500年前にヒマラヤの麓にある釈迦国(現在のネパール国ルンビニー州あたり)の王の第1王子として生まれ、その名をゴー タマ・シッダールタといいます。
 母、マヤは釈迦を産むと一週間で他界し、母の妹のパジャパティーが後添いとして入りました。パジャパティーは釈迦を我子のように愛育しますが、弟のナン ダが生まれるとナンダを王位につけたいと強く望むようになります。それから釈迦の苦悩がはじまったといわれます。
 王子である釈迦の生活は、大勢の召使いにかしずかれ贅を尽くしたものでしたが、釈迦は貧しい者を見ては心を痛め、人間の雑欲に悩み、世を捨て出家したい と願うようになっていました。
 しかし、釈迦の第1夫人のヤショーダラが男子を出産、それは釈迦の出家しようとする気持ちの障害となったので、我子をラーフラ(障害物)と名付けまし た。
 けれど間もなく釈迦は妻たちと子ども、王子という地位も捨てて城を出奔、出家します。
 そして6年の苦行の末、ついに菩提樹の木の下で悟りを開きました。それから人々への釈迦の説法がはじまります。
 はじめは少人数だった弟子も急増していき、近隣の王達でさえも釈迦の在家信者となりました。
 そのうわさを聞きつけ、父王は釈迦に会いたがりますが、それが実現したのは釈迦が出奔して12年後のことでした。息子のラーフラは12歳になっていまし た。
 それから釈迦国での釈迦の説法がはじまり、次期王ともくされ結婚直前だった弟のナンダ、息子のラーフラ、継母のパジャパティー、いとこ、家来、庶民など 大勢の者が出家しました。ひとたび出家すれば結婚は許されず、すべての財産や地位も捨て托鉢で生きることとなりますが、彼らの出家により釈迦の一族は滅亡 の一途をたどります。
 この世から見れば、釈迦は自らの家系の繁栄を望まずして滅亡へ導いたという理解しがたいものに思われます。しかし悟りを開き大宇宙の摂理を会得している 釈迦にとっては、一族の者達に法を説き出家させ、長じては輪廻転生から解き放ち解脱させることこそ、彼の真の愛だったのではないでしょうか。
 その釈迦が弟子に説いた法のうちの一つが般若心経です。
 釈迦が八十歳で病没した後、彼の説法は経典として保存され、『西遊記』の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵がそれを中国に持ち帰り漢訳しました。そして日 本に伝えられましたが、日本人はそれを和訳することはせず、経典の漢字をそのまま日本語読みに当てはめて読みます。従って唱えられるお寺のお経などもほと んど意味のわからぬまま聞いているという、冷静に見れば奇妙な風習が出来上がり、現在に至っています。

 果たして釈迦は般若心経の中で何と私達に訴えているのでしょうか。
 般若心経の正式名は、魔訶般若波羅蜜多心経です。日本語の読みは「まかはんにゃはらみたしんぎょう」ですが、古代インド語の読みは「マハーパニャーパ ラーミターチタースートラ」となります。
 魔訶とは偉大、般若とは智慧、波羅とは到達する、蜜多とは心の内という意味で、それを訳せば「心の内の偉大な智慧に到達しよう」です。
 そして般若心経の本文は、観自在菩薩からはじまります。これを直訳すると自在に観れる菩薩となりますが、『般若心経講義』の著者、紀野一義氏は、<観自 在菩薩は、ここでは主語なのだが仏さまのほうから「観自在菩薩」と呼びかけているような気がするではないか。「お前たちひとりひとりが観自在菩薩なのだ よ」と呼びかけられているように感じられるではないか。・・・なにしろ「観自在菩薩! あ、これ、おれのことだ」という受け取り方が大切なのだ。誰でも観 自在菩薩なのだから>と語っています。
 当時、釈迦の説法は一大ブームとなり、彼の居住する北インドばかりでなく南方からも人々が続々と集まってきました。それらの人々のほとんどは教育も受け ず文盲だったといわれますが、彼らを熱狂的にさせた釈迦の説法とは、彼らから遠く離れた存在だと思うような偉大な個人や観音菩薩ではなく、彼ら自身の心の 内を語り、それに彼らが共鳴したのではないでしょうか。
 また、『人間・釈迦①~④』、『原説 般若心経』などの著者、高橋信次氏は、<真の智慧は心の中から沸き出ずる内在された偉大なる智慧の境地から生まれ てくる>と語っています。
 釈迦の説く観自在菩薩とは、現代でいうところのハイアーセルフ(参照:第39回大空の会「ハイアーセルフを検証する」)です。ハイアーセルフとは、すべ ての人の心の内に存在する偉大な自分自身で、つまりは魔訶般若波羅蜜多心経の訳の通り「心の内の偉大な智慧」です。主に瞑想や催眠療法など、脳波がアル ファ波(参照:第3回大空の会のテーマ「アルファ波から起きる現象」)になっている時に出会えます。そして、今の苦しみの意味やそれに対するアドバイスな どを宇宙的視野でもって教えてくれます。釈迦自身も自らのハイアーセルフと大いに出会うことによって悟りを開き、それを人々に唱道しているのです。
 そして、般若心経の意とは、
「誰もの心の内に存在するハイアーセルフは、すべてのものを見通し大宇宙の摂理さえ理解しています。
 この世の諸々の所業に追われることによって生じるあなたの中の雑念は、おのずと苦や恐れ、こだわりなどを作り上げてしまいます。
 しかし、あなたのその雑念を取り払い、真の静けさを得ることができれば、あなたの内に潜む本当のあなた自身であるハイアーセルフが姿を現します。
 ハイアーセルフは、物質界における人間の感覚、欲得、生老病死の苦などを通り越えた視野をもち、この世あの世過去未来、自分と他人などの境を制した知識 をもっています。
 肉体も物体もやがて朽ち果ててしまう物質界に因われ、今世と一個人としてのあなたにこだわるのでなく、あなたの内に存在するハイアーセルフにより時空を 超えた全宇宙的意識に到達しましょう!」
 と、いうことになります。
 釈迦ほどにハイアーセルフに逢える人は非常に希だと思われますが、釈迦の高唱が般若心経で謳われています。 
自らのハイアーセルフとの出会いにより三千回の過去世を見たという釈迦、それは大宇宙の創設の頃まで見たのか、あるいはそれ以前かもしれません。そして天 界、地界その中に位置するものたち、ありとあらゆるものを見、いや思い起こし、肉体を持っている人間として知った釈迦、彼の生きざまと貴重な語りは永遠の 蜜のごとく私達を正統な魂の有り様へと導いてくれます。

 日本では、昔からこの般若心経はこの上ない程に愛され、唱える人、写経する人は数知れなく、その歴史の中で釈迦との心の道が通じ大事にされているように さえ思います。
 般若心経の意を解し、写経することは釈迦の望んだより良き道へといざなってくれるのではないでしょうか。
                                   瀬野彩子
      参考 文献
『般若心経講義』 紀野一義 (PHP文庫)
『原説般若心経』 高橋信次 (三宝出版)
『人間ブッダの生き方』 高瀬広居 (角川書店)
『人間・釈迦 ①~④』  高橋信次 (三宝出版)
『釈迦とイエス』 ひろさちや (新潮選書)
『声を出して覚える般若心経』 大栗道榮 (中経出版)
『生きて死ぬ智慧』 柳澤桂子 (小学館)





 『人間イエス』より

 地球史上最大のスーパース ター、イエス・キリスト。宗教だけに閉じ込めておくにはもったいないような情熱あふれる人間イエスに迫ります。
 イエス・キリストの研究者であり『人間イエス』(講談社)の著者、滝澤武人氏は、
 <イエスのような人間の生きざまは、決してキリスト教会の内部だけに留め置かれるべきものではなく、むしろそこから解き放たれて、すべての人びとの共有 財産(教養や常識)となったほうがよいのです。>
と、提唱しています。
 イエスは、今から2000数年前にパレスチナ北東部のナザレという山間部の小さな村に大工の子として生まれました。
 彼が生きていた時代はローマ帝国が強大な勢いを持ち、次々と周辺国を支配していきました。紀元前63年にシリアとパレスチナを侵略し、紀元前30年には クレオパトラの統治するをエジプトを制圧し、東地中海はすべてローマ帝国の支配下となりました。
 そのローマ帝国の支配により人々は厳しい生活を余儀なくされ、パレスチナには日雇い労働者、逃亡奴隷、税負担、借金、凶作のため経済的窮地に追い込まれ た小農たち、経済的理由から故郷を失った人達が多く存在し、誰もが乞食に転落してしまう可能性をかかえて生きていました。
 そんな中でイエスは乞食たちにきわめて同情的で、逆に金持ちを徹底的に批難しています。
「金持ちの家の門前に全身できものだらけで横たわっている乞食ラザロ・・・。死後この不幸なラザロの方が天の宴会に招かれ、金持ちは地獄で悶え苦し む。(聖書ルカ16・19-31)」
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通り抜ける方がもっと易しい。(聖書マルコ10・25)」
 また、イエスが病人を癒した話は有名です。
「イエスのもとに一人のらい病人がやってきて請い願いひれふし、イエスが手を伸ばしてその人に触れ、『そうしよう、清くなれ!』するとたちまち病が離れ去 り、その男は清められた。(聖書マルコ1・40-43)」
「イエスはさまざまな病人たちを癒した。病気に苦悩する多くの人々がイエスのからだに触れようと殺到してくる。(聖書マルコ3・10など)」
 困窮のさなかにある民衆をイエスは激励します。
「何を食べたらよいのか、何を着たらよいのか。そんな心配はやめておけ!(聖書22節)いのちは食べ物以上のもの、からだは着物以上のものじゃない か・・・(聖書23節)カラスや野の草花を良く見てみろ!神はちゃんと立派に生かしてくれてるじゃないか・・・きっと大丈夫さ、なにも心配することなんか ないのさ・・・食べ物と衣服もきっと神から与えてくれるにちがいない。(聖書24-28節)明日のことまで思い悩むのな。明日はまた明日のこと。その日は その日一日だけでもう十分なのだ。(聖書マタイ6-34節)」
 そして困窮する民衆と相対する律法学者、パリサイ人を酷評していきます。
「お前たちはほんとうの意味で神の戒めをほったらかしにして、人間たちが勝手に作り出した言い伝えにしがみついているだけなのだ。(聖書マルコ7・8)」
「お前たちパリサイ人は禍いだ。はっか、うん香、野菜などの十分の一の税はきっちりとささげているが、神の正義と愛をおざなりにしている。(聖書ルカ 11・42)」
 『人間イエス』にはこう記されています。
<イエスは闘う人間であった。その激しい闘いの中で燃えようと熱狂する人間であった。「私はこの地上に火を投げつけるためにやってきたのだ。(聖書ルカ 12・49)」これらもまたかなりラディカルな言葉である。この言葉を根拠にしてイエスを社会革命家としようとする人々が多い。・・・イエスは地上に火を 投げつけるためにやってきた。それはこの地上が矛盾に満ちており、神の正義にほど遠い現状だからである。イエスの発言には、この現状に対する怒りがあり闘 いがある。>
 イエスのもとには、罪人や悪人というレッテルを張られ社会的には卑賤視され差別されていた民衆、すなわち乞食、売春婦、取税人、牧畜人、行商人、日雇い 労働者、奉公人、奴隷、異邦人、サマリア人、女性、子ども、病気と障害のある者たちがやってくる。イエスは一貫して、これら被差別民衆と呼ばれるような人 々の立場に立ちつくし、我身の危険をかえり見もせず、ローマ帝国側の人間達を断罪し妥協の余地も存在しませんでした。
 そして、それらの言動は当然のようにローマ帝国への政治的反逆罪とされ、十字架にかけられ処刑されました。その判決を下したのは、ローマ皇帝ティベリウ スによって任命された総督ポンテオ・ピラトでした。
 それから人々は熱狂的に亡きイエスを追い求め、生前の彼の言動を思い起こす集会などが頻繁に開かれていきました。ローマ帝国はその弾圧に躍起となり、特 にディオクレティアヌス帝による残虐きわまりない迫害は有名です。ところが、コスタンティヌス帝以降はむしろそれを利用して民を治めるためにキリスト教を つくり上げていきました。
 『人間イエス』では、次のようにイエスの存在を主張します。
<イエスの人間的な魅力、スケールの大きさ、ラディカルでドラマティックな生涯、痛快な名言、名句の数々、後世への巨大な影響力・・・そのどれをとって も、イエスという人間はまさに傑出した大人物でありきわめつけの大スーパースターと言えるでしょう。
 しかもイエスは決してたんなる過去の人ではありません。2000年という時をへだてて、イエスの残した言葉と活動は今なお驚くほど豊かな生命力を保ちつ づけているのです。>
 スーパースターである人間イエスの教えは、2000年という時を超え、天と地という空間を越えて私達を鼓舞してくれるものがあります。
                                                                       瀬野彩子




これまでの発表されたテーマ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅣ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅢ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅡ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅠ

HOME