発表されたテーマ
現代科学と太古の智慧の生死観
天国からのメッセージ
『チベットの死者の書』から
『前世を記憶する子どもたち』について
霊能大国イギリス
現代では主に欧米諸国の大学 の医学部教授達が盛んに生死の研究を行うようになりました。
有名なところでは、トロント大学医学部教授のジョエル・L・ホイットン、マイアミ大学医学部教授のブライアン・L・ワイス、ヴァージニア大学医学部教授 のイアン・スティーヴンソン、シカゴ大学医学部教授のエリザベス・キューブラー・ロスなど。彼らの著書は世界的ベストセラーとなり、多数の彼らの賛同者の 存在を示しています。
トロント大学医学部教授のジョエル・L・ホイットンとマイアミ大学医学部教授のブライアン・L・ワイスは、心身症の臨床において退行催眠という治療法を 用いました。被験者達は自分の現世の退行だけでなく、過去世、中間世までも語り出しました。その他にも世界の多くのドクター、心理学者、カウンセラー達が退行催眠を行いましたが、被験者達は一応において似通った体験を語ります。(参照:第7回大空の会「前世療法的関わりについて」)
ヴァージニア大学医学部教授のイアン・スティーヴンソンは、世界中の前世を語る子ども達2000人を追跡調査し、その証拠まで出していきました。まだ幼 い子ども達が親にしきりに前世の記憶を話し、知り得るはずもない外国語をしゃべるという、そこには否定しえない事実があります。(参照:第15回大空の会 「前世を記憶する子どもたちについて」)
シカゴ大学医学部教授だったエリザベス・キューブラー・ロスは、多くの死に直面した患者と会話し、その死を看取りました。また、臨死体験を世界から二万 例も収集しました。(参照:第10回大空の会「臨死体験が教える死後の世界」)
彼らの研究は、私達のこれまでの生死に対する観点を変えるものがあります。
彼らが治療、調査として行ってきた中で、偶然の産物のように得てきた生死の事実には、過去世、中間世、生まれ変わりなどがあり、人は肉体は死んでも精神 は死なないという現状が示されていました。
しかし、彼らはこの世の中に新たな生死観を提供したかのようにも見えますが、彼らが唱えていることは後進国とされるインド、南米、アフリカなどで大昔か ら当たり前のように語り継がれていたことと酷似します。
大昔に書かれたとされる『チベットの死者の書』や『エジプトの死者の書』などの書は、退行催眠で語られる過去世、中間世、生まれ変わりが出てきます。ま た、臨死体験者達が話す死後の世界とまったく同じ光景が、これらの書で既に述べられています。(参照:第18回大空の会「チベットの死者の書から」)
日本でも民話や能の中にこれらの生死観が出てくることがよくあります。
京都大学のカール・ベッカー教授は、昔の日本は生死に対する造詣が深かったが、近代文明が入ってくると共に後退し、今ではその面において世界の後進国で あると嘆いています。そういえば源氏物語の時代、今の日本人とは違う生死に対する向き合い方がありました。
しかし、世界的に見ても大昔から人々の間で伝承されてきた生死観が、近代文明が入ることと引き換えに一時的に途絶え、今またそれが再び文明国にも取り戻 されてきた様相があります。大昔からの生死観は、本当は語り継ぐべきものだったのでしょうが、途絶えてしまったことを補うかのように現代の医学者達が盛ん に研究し、今またその生死観が科学的に証明された事実として人々に受け入れられています。
苦しい死別体験も、最先端の現代科学と太古からの智慧により緩和され癒され、今を更に意義深く生きられるよう人間本来の在り方を教えてくれます。
瀬野彩子
天国からのメッセージx
かなり多くの人が経験している愛する故人とのコミュニケーション。それは、天国からの愛のメッセージです。
1987年のアメリカの全国世論調査センターが行った世論調査によると、故人と何らかの接触をもったことがあるアメリカ人は成人の42パーセント、配偶 者を失った女性では67パーセントでした。
『生きがいのメッセージ』(徳間書店)の著者、ビル・グッゲンハイムとジュディ・グッゲンハイムは、「子に先立たれた親にとって、その子どもとまた会え るという思いほどなぐさめになるものがほかにあるだろうか? 連れ合いを失った妻や夫にとって、生涯愛を分かち合った人とまた一緒になれるという信念ほ ど、心強いものがあるだろうか? どんな人にとっても、この地上で愛した人といつか必ず再会できるという思いほど励みになるものはないだろう。」と、語っ ています。
彼らは、アメリカとカナダに住む2000人の人々に面接し、3300件を超える故人からのメッセージの報告を収集しました。
まずは、不動産管理の仕事についている37歳のクリスティン・ベーカーの報告です。
〔娘のヘザーは、14歳でした。その晩は友だちのところへ泊まることになっていたんです。私達は11時に休みました。
電話が鳴って目が覚めたのが、夜中の1時ごろ。受話器をとると、「ベーカーさんですか?警察です。いまお宅の玄関に来ています。出ていただけません か?」って。「わかりました。」と答えて電話を切って、車のライトか何かがつけっぱなしだったかしらと思いながら、ベットの端にひとまず腰を下ろしまし た。
それからガウンをはおり、ファスナーを引き上げながら寝室のドアへ向かいました。廊下に出ると、ヘザーがお祖父さんと一緒に立っているんです。ヘザーが とてもなついていたお祖父さんでした。でも、亡くなって6年にもなるんです。
二人とも床から浮き上がって立っていて、義父がヘザーの体に腕をまわしています。ちゃんと普通の体で、何もかもはっきり見えました。あまりのことに首を 振りながら、「でも、どうしてヘザーが義父と一緒にいるんだろう?」って思いました。
すると義父が「ベイビー、心配はいらないよ。ヘザーは私が預かった。ヘザーはこの通り元気にしているよ。」って。やはり義父でした。義父はいつも私のこ とを「ベイビー」と呼んでいましたから。声だって間違いなく彼の声でした。にこにこして、とてもおだやかで、それに二人とも、とっても幸せそうなんです。 ほんとに「何てことかしら」と思うばかりで、また首を振ることしかできませんでした。
玄関のドアをあけると、警官が立っていました。私に「まあ座ってください。」と言うので、「何があったんですか?どうぞ言ってください。」と言いまし た。大きな自動車事故があって、ヘザーが亡くなったと告げられました。〕
視覚、聴覚現象だけでなく、物理現象によるコミュニケーションも数多くありました。故人は、電気関係のものを動かすのが得意らしく、灯りがついたり消え たりする、ラジオ、テレビ、ステレオなどが突然鳴り出す、機械仕掛けの道具が動き出すなど、それらに類似のものが数限りなくありました。
『眠れぬ夜に読む本』(光文社)によると、遠藤周作氏も物理現象によるコミュニケーションの体験者だそうです。
遠藤氏が連れの男性 I と長崎の「ボン・ソワール」というバーに行ったところ、こんな話を聞きました。ある日、ホステスがトイレに行くと、「○ちゃん、○ちゃん」と自分を呼ぶ声 がします。それは、原爆被災者でその頃容態が悪くなり休んでいたホステスの声でした。彼女はびっくりして席に戻り、みんなに話しました。お客さんの中にお 経をご存知の人がいて、お経をあげていただいたりしましたが、やはり亡くなっていたのはその時刻だったそうです。
遠藤氏は、その話を本当だと信じたそうですが、連れの I は「そんな事、ある筈ありませんよねえ。」と何度も言っていました。
二人はホテルに帰りましたが、遠藤氏は亡くなったホステスの名前を呼んで、「この I に、あの話が本当だと教えてやってくれないか。」と半ば本気、半ば冗談で頼みました。 この時、思いがけないことが起こりました。室内の電気が、ゆっく り、暗くなっていき、ゆっくりと、少しずつ・・・ 二人は口を開けて暗くなっていく天井の灯りやスタンドを見つめていました。時間はひどく長いものに感じ られましたが、実際は10秒か20秒くらい、そして室内は真っ暗になりました。
2、3秒して灯りがともった時、I の顔は文字通り真蒼だった・・・ そうです。
他に虫や鳥などが人を恐れもせず寄ってきて、まるで亡き愛する人かのように振るまってくれる、家の中を明らかに自然現象ではないラップ音が聞こえるなど もあります。遺された者には、それが愛する故人からのメッセージということが一目瞭然だとも言われます。
夢でメッセージを受けとることもあります。(参照:第8回大空の会「夢現象について」)
フロリダ州に住む32歳のジーンは、子宮摘出手術を受けることになりました。外科手術ははじめてで、あと一週間という頃、だんだん不安になってきまし た。でも、名づけ親のミリアムが夢に出てきてくれました。「何もかもうまくいくから心配しなくていいよ。手術の間は、そばについていてあげるよ。お前を一 人ぼっちにさせないからね。」とミリアムは言い、そして彼女を抱きしめてくれました。
それから、ジーンは心がすっかりほぐれて、手術の時もミリアムがついていてくれる、ひとりじゃないってわかってましたから、落ち着けました。
42歳のウォルトは、俳優で作家でトラックの運転手でもありました。彼は亡き祖父の来訪を受け、精神的変身をとげました。
〔ストレスだらけの環境でね。ひどいうつ状態になっていました。
ある晩、祖父が入って来て、僕の寝ているベットに腰かけたんです。夢じゃないと思いました。目は覚めているつもりでした。腰かけた時ベットが揺れたのも わかったし、僕の脚に手が置かれた感触もちゃんとありましたから。祖父は見たこともないくらい嬉しそうな顔でした。カーキ色のシャツを着てましたっけ。
「どうしたんだいウォルト。おまえらしくないね。おまえはいつもご機嫌で自身満々だったじゃないか。」紛れもなく祖父の声で、ちゃんとニューイングランド 訛りでそう言われました。 信じられませんでした。とっくに死んだ人なんですから。完全に目が覚めた時、やっぱり祖父だったってはっきりわかりました。
無性にうれしくなりました。お祖父さんが僕を元気づけにきてくれたんですから。周囲の人間には、生きている人間には、僕を気遣ってくれる人なんか一人も いませんでした。なのに、僕のことを気にかけてくれる人がいた、どうしてるか心配してくれる人がちゃんといた、そう思うと、うれしくてたまらなかったんで す。〕
どうやら他界した家族は、私達に切実に必要とされているあいだは、そばにとどまることができるようです。そして、なぐさめを与えてくれることもあれば、 人生の難局を乗り切る力を貸してくれることもあります。
そうしたメッセージを受けとるコミュニケーション体験は、彼らが私達にいつまでも変わらぬ愛を注ぎ続けてくれているということのしるしのようでもありま す。
瀬野彩子
参考文献
『生きがいのメッセージ』 ビル・グッゲンハイムとジュディ・グッゲンハイム (徳間書店)
『チベットの死者の書』から
チベットで昔から伝わる死者に捧げる『チベットの死者の書』。日本人の考えとはまる で違うチベットの人達の考え、そういう見方もあったのかと思ってしまう書の紹介です。
チベットは平均標高4000メートル、チベット高原の南部には雄大な雪域の自然風光を誇るヒマラヤ山脈があります。そして、海抜8848、13メートル の世界最高峰、チョモランマは、ネパールとの国境地帯にそびえ、古来から神密なところとして世界に知られています。
そのチベットで生まれた『チベットの死者の書』は、8世紀半ばにチベット仏教の祖聖、グル・パドマサムパヴァが著したとされます。その後、埋蔵経として セルデン河畔のガムポダル山中に秘匿しましたが、14世紀になって発掘されました。 しかし、仏教が伝来される以前からの土着の宗教であるボン教でも『チ ベットの死者の書』と同じ考えが伝えられていることから、『チベットの死者の書』的捉え方はチベットに古来から伝承されているもののようです。
現在でもチベットでは宗派を問わず、臨終を迎えた人の枕辺で導師が『チベットの死者の書』の読経をはじめます。親族、友人達は臨終を迎えた人がこの世に 執着しないよう遠ざけられ、導師に死への道先案内を託します。親族、友人達は哀嘆せず、皆で出来る限り善い行いをするよう心がけるべきとされます。
『チベットの死者の書』は、第一巻から第三巻まであり、四十九日までの毎日の読経やその時の死者の心理状態、死者が出会うもの、死者の行くべき道を指し 示すなど事細かに書かれています。死者が心の迷いをもたないよう、また生者も心の嘆きを抱えないよう『チベットの死者の書』は導きます。この書の最大の目 的は、人を生・老・病・死の四つの苦悩に悩まされる輪廻の境涯から解脱させることです。
「ああ、善い人よ。よく聞くがよい。今こそ汝が仏の道を求めるときが来たのだ。汝が生前に得られなかった悟りを得る機会が訪れた。まもなく汝の呼吸は止ま るであろう。そのとき、最初のバルドゥ(中間世)の強烈な、しかも美しい光が現れるであろう。その光だ。汝の前に現れた光に溶け合うのだ。この光は、汝を つくっていた本質なのだ。
善い人よ。心惑わせることなくよく聞くがよい。汝の旅立ちの時が来た。現世の姿を離れて極楽浄土へ向かうのだ。決してこの世に執著してはいけない。不安 におののくことはない。もう、心を乱すものは何もない。今からは自由なのだ。・・・ もうすぐ死ぬときが来る。汝は意識を物質である身体から、生まれなが らの光の世界へと移すのだ。今までの身体は無常の幻なのだ。」
「ああ、善い人よ。よく聞くがよい。 汝に死が訪れた。この世との別れだ。死は万人に起こる。この世からあの世へ行くのは一人だけではないのだ。・・・ 現世への執着は総て断ち切らねばならない。・・・ こうすることによって、そこに現れるのは自分自身の投影だけだ。したがって、いかなる幻影も恐れてはな らない。自らの本性が生んだ幻影に惑わされることなく進めば解脱への道を歩めるのだ。・・・ 」(『チベットの死者の書』の「バルドゥにおける聴聞による 大解脱のチカエ・バルドゥ〈死の瞬間の中有〉の光明のお導き」より)
『チベットの死者の書』の中には、第10回大空の会のテーマの「臨死体験が教える死後の世界」とよく似た記述があります。
「臨死体験が教える死後の世界」では、主に現代医学により蘇生した人達の臨死体験が書かれています。全盲の女性、サラが臨死体験した時は視力があり、交 通事故で臨死体験した少年は美しいお花畑に行きました。
『チベットの死者の書』では、「生前において視覚や聴覚に欠陥があっても、この死後の時にあってはもろもろの感覚器官は完全である。なにを言われても理 解できる。」とあり、「・・・〈清浄なクァサルパナ〉の世界へと案内してくれるであろう。その証拠となる兆候として、空は曇りなく彼らの姿は虹と光に溶け 入り、花の雨や薫香のかおりが満ちる。虚空には楽器の音や光明が現れ・・・」と、あります。
この『チベットの死者の書』は、イギリスの人類学者、エヴァンス・ヴェンツがチベット僧、カジ・ダワサムドプの助けを借り10年近くの歳月をかけて英訳 しました。そして1927年に出版しました。1935年にはドイツ語版が刊行されましたが、夢分析で有名なカール・ユング博士(参照:第8回大空の会の テーマ「夢現象について」)が解説をつけたことから世界的に注目を集めました。
ユングは『チベットの死者の書』を、「我々が誕生のとき以来失ってしまった人間の魂そのものの持つ神性を全面回復しようとする通過儀礼の過程である。」 と絶賛し、この書を生涯の伴侶にしたといわれます。
『チベットの死者の書』には、生前からこの書を修練せよと書かれています。死者の書と呼ばれながら生きている人にその生の意味を問いかけ、現実を少しで も良く生きることの向こうに解脱があることを説いています。真実の生死(しょうし)を語っている、それが『チベットの死者の書』ではないかと思います。
瀬野彩子
参考文献
『チベットの死者の書』 原典訳 (ちくま学芸文庫)
『チベットの生と死の書』 ソギャル・リンポチェ (講談社)
ホームページ『あの世への旅立ち』 濤野十三郎
ホームページ『チベットの死者の書』
ホームページ『チベット』
『前世を記憶する子 どもたち』について
ヴァージニア大学医学部 教授、イアン・スティーヴンソンが、世界中を長年かけて追跡した前世を記憶する子どもたち、実証さえともなうまだ幼い子どもの話の数々は、私たちの観点を 揺るがすものがあります。『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社)は、全世界に衝撃を与えた本です
スティーヴンソン教授のその注目すべき点は、文献を並べた卓上だけの研究ではなく、自分の足で世界各地に赴き、前世を記憶する子どもやその親達と会って 集めた2000件もの事例による研究発表というところです。
前世を記憶する子どもの話を聞き、可能な場合には前世の人物を調べその家族と会い、死亡時の病院のカルテを取得、子どもの話と一致しているかどうかの確 認をとっています。
また、前世の人物と生まれ変わった子どもとの対比や双方の家族の反応、更には何年か後にまた同じ子どもと会ってその後の様子を見るなど、徹底的に研究調 査しています。
スティーヴンソン教授のこの長年にわたる世界各地での追跡調査は、彼の凄まじきまでの行動力と探究心をうかがわせます。
1967年にアメリカ、テキサス州のキャサリン・ライトは、恋人のウォルター・ミラーを交通事故で失いました。 キャサリンとウォルターは正式なもので はなかったけれど、二人とも婚約しているものとして交際していたので、キャサリンは強いショックを受けました。
ある日キャサリンは、ウォルターの夢を見ました。 彼は夢の中で、
「自分は、みんなが考えるように死んではいない。もう一度生まれ変わるつもりだ。また君に絵を描いてあげたい。」と、言っていました。 ウォルターは生ま れ変わるのだろうなあとキャサリンは思いました。しかし、その時妊娠中だったウォルターの妹のキャロル・ミラー・デイビスの子どもとして生まれて来るので はないかと思っていました。
その後キャサリンは他の男性と結婚し妊娠、1975年、息子のマイクルを産みました。マイクルは、3歳になった頃からウォルターが死亡した事故の様子を 話すようになりました。「友だちと車に乗ってると、車は路肩を飛び出して、ゴロゴロと転がった。ドアが開いて、僕は外に放り出されて死んだ。」
その他に、事故の直前に出席したダンス・パーティーがどの町で開催されたか、トイレに行った後で事故に遭ったこと、(事故の時)車のガラスが壊れたこと や(事故の後)自分が橋を渡って運ばれたことなどを話しました。
キャサリンは、マイクルの発言のほとんどがウォルターの事故と完全に符号することがわかっていました。 衝突の衝撃でウォルターは、車から投げ出され、 首の骨を折って即死に近い状態で死亡しました。その後、ウォルターを乗せた救急車は事故現場付近にかかっている橋を通過しています。事故直前にトイレに 行ったかどうかはわかりませんが、同乗していた友人に聞けば確認できることでした。
シャムリニー・プレマは、1962年にスリランカの首都コロンボで生まれました。シャムリニーは話せるようになると、自分が記憶しているという前世時代 のことを、両親はじめ興味を持って聞いてくれる者に次第に話して聞かせるようになりました。その前世時代の舞台となったのは、2キロほど離れたところにあ るガルトゥダウという村でした。シャムリニーは、その村に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、”ガルトゥダウのお母さん”のことをよく話しました。また、 姉妹のことやふたりの同級生のことなども話していました。
前世での死の模様についてシャムリニーは次のように語りました。「朝、登校前にパンを買いに出たところ、道路が水浸しになっていた。そこへバスが走って 来て水をはねかけられ、水がたまった田んぼに落ちた。両手を上げてお母さんと呼んだが、その後眠ってしまった。」
ガルトゥダウに住んでいたヘマセーリー・グネラトネという11歳の少女は、シャムリニーが語ったとおりの状況で、1961年に溺死していました。
3歳の頃、シャムリニーは、街角でばったり出会ったヘマセーリーの従兄を見つけました。それから一年以上たった時、やはり街角でヘマセーリーの姉を見つ けました。そうこうするうちにシャムリニーは、ガルトゥダウに連れて行って欲しい、特に”ガルトゥダウのお母さん”のところへ行きたいと執拗に要求するよ うになりました。 結局、シャムリニーの父親が彼女をガルトゥダウのグネラトネ家に連れて行きました。
その後もシャムリニーは、グネラトネ家を訪れるようになりました。
フィンランドのヘルシンキに住むペルティ・ヘイキオは、1975年に病死しました。
その後、ペルティの姉、マリヤは妊娠しましたが、中絶を考えていました。そんな時ペルティが夢に出て来て、「子どもは、そのままにしといて。」と、言い ました。
1976年、マリヤは息子のサムエル・ヘランデルを産みました。 一歳から二歳にかけてサムエルは、母方叔父の生涯を記憶していることをうかがわせる言 動をとりはじめました。
サムエルは、ペルティの写真を見るたびに「これは、僕だ。」と、言っていました。母方祖父の写真を見て「父さんだ。」と言い、ギターやコールテンの上 着、古ぼけた時計などペルティの遺品をいくつか見分けました。がらくたの詰まった引出しに放り込まれたペルティの古時計を見た時、「これは、僕のだ。」と 飛び付いて「自分の手元に置く。」と、言いました。ペルティの死後、母親(サムエルの母方祖母)がどれほど涙を流したかについても語りました。 また、ペ ルティが埋葬されている墓地に連れて行かれた時、サムエルはペルティの墓を見て、「僕のお墓だ。」と言いました。
前世の癖や嗜好やあざが今世に持ち込まれることも多いようです。
アラスカのヴィクター・ヴィンセントは、姪のコーリス・チョトキン・シニア夫人に「自分が死んだら、おまえの息子として生まれ変わるつもりだ。」と言 い、自分の手術痕をふたつ見せ、「このふたつの痕跡と同じ場所にあざがあるから(来世では)すぐに見分けがつくはずだ。」と、語りました。
1946年にヴィクター・ヴィンセントは死亡、一年半ほど後にチョトキン夫人は長男を出産、以前伯父のヴィクター・ヴィンセントが見せてくれたふたつの 手術痕と全く同じ場所に母斑がありました。
前世を語るのは話ができはじめる頃から5歳くらいまでが多く、その場合でも8歳くらいには忘れてしまうことが多いようです。 赤ちゃんから5歳くらいま では、もしかするとみんな前世を覚えているのかもしれません。しかし前世を語っても、親が関心を示さなかったり訳が分からないまま過ぎてしまうことも多い ように思います。
ほんの少しだけ前世を語る子どからレバノンのスザンナ・ガーネムのように親族23人と知人2人の名前を記憶している例など様々ですが、前世を記憶する子 どもたちは、私たちが生から生への旅人であることを語ってくれるすばらしい証人なのかもしれません。
瀬野彩子
参考文献
『前世を記憶する子どもたち』 イアン・スティーヴンソン (日本教文社)
霊能大国 イギリス
女王の国、イギリス。コナン・ドイル著のシャーロック・ホームズは世界にファンをもち、かつてダイアナ妃は世界を魅了し、今はハリー・ポッターが世界を 席巻しています。このイギリス、実は霊能大国なのです。
コナン・ドイルは、1859年イギリス、エディンバラに生まれました。エディンバラ大学医学部卒業、後に医学博士号を取得しました。 1882年、ポー ツマス市に医院を開業しましたが、患者が来ないので暇をもてあまし書きはじめたとされるのが、『シャーロック・ホームズ』です。 コナン・ドイルは、 1900年のボーア戦争に軍医として参戦、そのひどい惨状に落ち込んで帰国したといわれます。また、第一次世界大戦では長男を失いました。 その後、心霊 学を研究、世界に心霊学を広める活動をしていきました。『心霊術史』、『コナン・ドイルの心霊学』などの著書もあります。 コナン・ドイルは、1930年 に亡くなりましたが、生前に死後の世界を伝えに来ると予告し、その通りミネスタという女性を霊媒として7ヶ月間、死後の世界を人々に伝えました。そのコナ ン・ドイルの死後のメッセージは本になり世界に出版されました。現在の日本でも講談社から『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』として出ていま す。
イギリスには、1960年代後半から50年あまりにかけて高位霊、シルバー・バーチが出没し、人々に教訓を与えました。 シルバー・バーチの霊媒として 選ばれたのは、モーリス・バーバネル氏。シルバー・バーチによると、バーバネル氏が生まれる前から彼を霊媒として選んでいたそうです。そして、「英国新聞 界の法王」と言われたハンネン・スワッハー氏が協力、ハンネン・スワッハーホームサークルでシルバー・バーチの霊言を聞き、それを新聞に掲載していきまし た。当時、世界的にも話題となりました。 今も『シルバー・バーチの霊訓』一~十二巻(潮文社)として出版されています。シルバー・バーチのおだやかで美 しい旋律を奏でるような言葉の中に、人間への厳しい訓戒があります。人はなぜ生きるかを教示してくれる永遠なる珠玉の書です。
伝統を重んじる国、イギリス。街には何百年もたつような古い建物が建ち、人々は古い道具を大事にし、古い習慣が続いています。古くから存在する心霊研究 も重んじ心霊研究所は他にもたくさんあります。
コナン・ドイルは、心霊研究をはじめた理由をこう語っています。
「第一次世界大戦が始まり、私たちは魂の問題を真剣に考え、自分自身の信条をしっかりと見つめ直し、その価値を再評価することを迫られることとなった。苦 しみもがく世界を目前にして、若者の命が花開こうとするその直前に奪われたニュースを毎日のように耳にし、愛する夫や息子がどこに行ってしまったのかわか らずにいる妻や母親を見る中で、私は突然理解した。私がかくも長い間もてあそんできた心霊主意という問題は、科学の原則を逸脱した力についての研究である だけではなく、まことに素晴らしい可能性を秘めた問題であり、この世とあの世の壁を打ち砕くものであり、あの世からの直接的で疑うことのできないメッセー ジであり、人類が最も苦しんでいるときにあって、希望と導きを呼びかけているものであると理解したのであった。」
瀬野彩子
参考文献
『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』(講談社)
『コナン・ドイルの心霊学』(潮文社)
『シルバー・バーチの霊訓』一~十二巻(潮文社)
『スピリチュアル・ノート』より
全米ベストセラーとなった『スピリチュアル・ノー ト』(PHP研究所)、『Blessings from The Other Side』、『Life on The Other Side』などの著者、シルビア・ブラウンは、アメリカのミズーリ州カンザスシティーに生まれました。47年間サイキックとして活躍、一日に20件もの リーディングをし、アメリカ中の100人以上の医師たちと共同で霊的調査を行いました。また、「モンテル・ウィリアムス・ショー」などテレビにも多数出 演、大人気のサイキックです。
ある時、シルビア・ブラウンはクライアントにリーディングを行うだけでなく、実際にガイドブックとして役に立つような本をつくれないかと考えました。そ こで、友人の映画脚本家、リンジー・ハリソンに一緒に本をつくるようもちかけました。 この『スピリチュアル・ノート』は、シルビア・ブラウンが口述し、 脚本家リンジー・ハリソンが筆記したものです。だから、話しかけるようにやさしく書かれていて、とても読みやすい本になっています。 また、シルビア・ブ ラウンが彼女の母親に虐待されたこと、夫のドメスティックバイオレンスのことなど包み隠さず正直に自分の人生について語っているところは、この本の信用性 を高めています。読んでいくうちに、彼女に親しみを感じる人は多いのではないでしょうか。
まずは、「これは、あなたのための本です。」から始まります。「あなたが、神さまから与えられた力をどのように使うか、あなたとあなたの愛する人々の人 生をどうしたら良いものに出来るか、スピリットガイドや天使たちに導かれ、逝ってしまった愛する人と会い、あなたの過去の人生や魂の永遠を知るためのもの です。・・・死ぬことを恐れなくなり、生きることも恐れなくなるための本です。」
シルビア・ブラウンは47年間、一日に20件ものリーディングを行いましたので、数知れない程の人の過去世を見、スピリットガイドと出会いました。また そればかりでなく、彼女を訪ねた人の健康状態を診ることに秀でた能力をもっていたようです。
ある女性が、リーディングのためにシルビア・ブラウンのオフィスにやってきました。彼女はとてもきれいな人で、全くどこも変わったところがないように見 えました。でも、彼女が椅子にまさに座ろうとした時、シルビア・ブラウンは、
「座ってる暇なんかありません。すぐにあなたを泌尿器科に連れて行かなければ!」と、叫びました。
シルビア・ブラウンの友人の医者がすぐに彼女を診てくれましたが、2時間後電話をしてきました。
「彼女は、なんて幸運だったことだろう。非常に重い膀胱炎にかかってたんですよ。もしもう少しでも遅れたら、とんでもないことになっていたところでし た。」
また、別の女性は血液の難病にかかり、助からないと診断されていました。しかしシルビア・ブラウンは、その女性に必要なのは優秀な内分泌の専門家に甲状 腺を調べてもらうことだとわかりました。その結果、ホルモンをつくるレベルが異常に下がっていたことが判明しました。それは充分手当ての方法もあり、もち ろん治らない病気などではありませんでした。
シルビア・ブラウンによると、私たちの細胞は魂の記録を吸収し、プログラムされたように反応します。また、細胞の一つ一つが生きていて過去世の記録も もっています。私たちの過去世は詳しく仕舞い込まれ、ただ鍵をあけて表現されるのを待っているそうです。
会員用貸し出しテープとしてシルビア・ブラウンが教えてくれる「過去世への旅」のテープを用意しました。どうぞ、試してみてください。
また、シルビア・ブラウンは逝ってしまった愛する人々についてこう語っています。
あなたが愛して、そして逝ってしまった人たちは皆生きています。あちら側で健やかに、幸せに。そして、しばしばあなたを訪れているのです。私のクライア ントたちは、死んでしまった愛する人が50年も60年もたっても、なお彼らの周りにいることを知って驚きます。
実際、私たちが覚えてさえいない前世で愛した人が訪ねて来ることも珍しくありません。
あちら側では、時間は意味がないようなものですから、何十年も前に別れを告げていても、彼らにとってはほんの数秒前なのです。決して彼らは忘れることは ないのです。彼らは、彼らがとても幸せで、健やかで、楽しく暮らしていることを何とか知らせようとしているのです。
だから、夢に出てきてメッセージを伝えてくれるのかもしれません。
シルビア・ブラウンは、断言します。
本当は死というものはありません。私たちの魂は、いつも生きていてこれからも生き続けます。人は地上に生まれる事を決意すると、克服し学ばなければなら ないこと経験したいことが何であるかに基づいて、ブループリント(青写真)をつくります。それは、両親、家族、子供時代から始まり、仕事、健康、経済的な 状態、結婚、子供、どのくらい生きるかということまで全部含んでいます。私たちは、自分が最も学たいと思うものを選びそれに挑戦しているのです。
そして、私たちはブループリントに沿うような人生が歩めるよう、いつもスピリットガイドや逝ってしまった愛する人たちに囲まれています。
私たちは、本当は誰も失ったりはしないのです。
瀬野彩子
参考文献
『スピリチュアル・ノー ト』シルビア・ブラウン(PHP研究所)
臨死体験が教える死後の世界
死の淵から生還した人により語られる臨死体験。そのかいま見た向こうの世界とはどんなものなのでしょ うか。そして、私達に何を教えてくれるのでしょうか。
臨死体験は、1970年代に入り医学博士のエリザベス・キューブラー・ロスとレイモンド・ムーディーの研究をきっかけとし、学問的研究の対象とされるよ うになりました。今では精神神経医、脳生理学者、心理学者、哲学者、文化人類学者など多方面の学者がこの研究に関心を寄せています。1990年には、ワシ ントンのジョージタウン大学で13ヶ国から300人の研究者と体験者を集めて、臨死体験研究の第一回国際会議が開かれました。
1982年のアメリカの調査では、臨死体験者は全米成人人口の5パーセント、つまり800万人に起こっていると発表されています。 杏林大学医学部の秦 教授のグループが四年間に救急外来に運び込まれた意識不明患者で、蘇生して知的障害を残さなかった33人のうち12人が臨死体験をしていました。 他の国 々でもこういう人達の三割強が臨死体験をしているという調査結果がでており、どうやら臨死体験は人類に普遍的な現象であるようです。 もっとも最近では、 蘇生した患者にドクターのほうから「何か見なかったか?」、「こういう時は、よく不思議なものを見るんだよね。」と聞くことが多いといわれます。
平安時代の『今昔物語』、『日本往生極楽記』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』にも臨死体験がたくさん出てきます。また、ヨーロッパの古い文献に残る臨死体 験を詳しく調査したキャロル・ザレスキーの『あの世への旅』(オックスフォード大学出版局 本邦未訳)もあります。
典型的な臨死体験は、『かいまみた死後の世界』や『いまわのきわに見る死の世界』などに書かれています。 〔私は瀕死の状態でした。ドクターが私の死を宣告しています。大きく響きわたる音が聞こえはじめたかと思うと、暗い長いトンネルの中を猛烈な速度で通り抜 けていきました。自分の肉体から抜け出しのでした。私は自分の肉体とそのそばにいる人達の斜め上あたりにいて彼らを見ています。私の周りには既に死亡して いる親戚、友達の霊がいました。それから、私は光に出会います。強いけれどちっともまぶしくない光です。その光は、言葉で到底説明しきれないくらいの愛と 温情で私を包み込み保護してくれました。それから、自分の人生の主な出来事を連続的に再生していました。ふと気が付くと、とてもきれいな川のそばに立って います。川の向こうにはとてもきれいなお花畑があり、何人かの人がいます。私はその川を渡ろうとしました。しかし、向こう岸にいる今は亡き私の肉親が「来 るな。お前にはまだやるべきことがある。」と、言います。私はこのきれいなところにいたいのに・・・。ふと見ると、私は自分の身体に戻っていました。〕
ある日、ダラス市民病院の医長、ラリー・ドッシー博士が、サラという女性患者に全身麻酔をかけ手術をしました。ところが、緊急事態が生じ一時心臓が停 止してしまいました。その間、サラは自分の身体から抜け出し手術室を浮遊した状態で見、他の部屋もさまよったといいます。彼女の心臓が停止した時のドク ターと看護婦の緊迫したやりとり、手術台にかかっていたシーツの色、主任看護婦のヘアースタイル、そればかりか各部屋の配置、手術室外の廊下の手術予定表 に書いてあった走り書き、廊下の端にある医師控え室で手術が終わるのを待っていた外科医の名前、また麻酔医が左右別々の靴下を履いていたという些細なこと までサラの証言はどれも正確なものでした。しかも、これらの情報はたとえサラに意識があったとしても、決して見えるはずのないものでした。なぜなら、サラ には生まれつき視力がなかったのですから。
エリザベス・キューブラー・ロス博士の研究によると、過去10年以上も視力がなく目の見えない患者たちが臨死体験中に自分を見舞いに来た人々の洋服や宝 石の色、セーターやネクタイの色や形までをかに「見て」正確に描写することが証明されています。 手、足のない人も亡くなってから現われる時、手、足をも つ完全な身体になって現われて来るといわれますが、全盲の人も同じ現象といえます。
昭和60年10月21日、歌手のフランク永井氏は首吊り自殺を図りました。氏によると、首を吊った瞬間に呼吸困難となり視界が一瞬真っ赤になった後、 真っ黒になり、奇妙な音が聞こえはじめました。その音は次第に大きくなり氏は暗い穴のようなトンネルの中に吸い込まれていきました。そして急に上昇、浮遊 しながら自由に壁や扉を通り抜け、下界の様子を見ることができました。柔らかい光に包まれ再び急上昇、ふと気付くと平地に立っていました。前方の花園から 美しい音楽とともに今は亡き肉親や友人の声が聞こえてきます。懐かしさと会いたい気持ちに駆られそちらへ歩き出しました。そこには渡ると死に、引き返すと 生き返るという三途の川がありましたが、氏はなんらかの力によって引き戻され、蘇生しました。
心臓発作の後に蘇生したある女性は、臨死体験の感想をこう言います。
「最高にすてきな気分になったのです。安らぎ、満足、すっかりくつろいだ気分それ以外は何も感じませんでした。平穏そのものでした。心配の種がすっかり消 え去ってしまったような感じがしました。なんて穏やかなのでしょう、少しも苦しくないわ、とひそかに思いました。」
ベトナム戦争で銃弾をうけ、臨死体験した男性も、
「非常にほっとしました。痛みは全くありませんでしたし、あんなゆったりした気分になったのは、はじめてでした。すっかりくつろいでいい気分でした。」 と、語っています。
そして、再び生き返った感想としては、
「生きているということは、拘禁されているようなものです。生きている時には、肉体が精神の獄舎であることがどうしても理解できません。死はすばらしい解 放です。獄舎からの脱走のように。この説明が私には一番ぴったりくるように思います。」と、言っています。
ある少年は、交通事故で臨死体験をしました。川を渡り向こうの美しいお花畑に行きましたが、曽祖父に「今度、役目を果たしたとき来い。」と、言われ対岸 に戻されました。しかし、またあの美しいお花畑に行きたいと思い行くと今度は曾祖母が現われ、「今すぐ帰れ」とまた戻されたそうです。この少年はすべての 人に何か役割が必ずあるはずだと強く感じたそうです。
他の臨死体験者達も自分には果たすべき務めがあるから返ってきたと言います。ある人は、向こうで「お前は物質的世界に戻り、そこに生きる者たちに別の世 界の様子を伝えなければならない。」と、言われたそうです。
美しいお花畑にいられるのは今生での役割を果たした人だけのようです。
近代になって臨死研究を教育の中に採り入れる医学部、看護学科、その他の保健衛生関係の教育機関が増加しつつあります。臨死体験から末期患者への対応の 仕方を学び、深い悲しみに暮れる遺族カウンセリングの一助にするためです。今後、ますます臨死現象の重要性に対する認識が高まっていくものと思われます。
瀬野彩子
参考文献
『かいまみた死後の世界』レイモンド・ムーディー(評論社)
『いまわのきわに見る死の世界』ケネス・リング(講談社)
『臨死体験』立花隆(文春文庫)
『証言・臨死体験』立花隆(文芸春秋)
『臨死体験 生と死の境界で人はなにを見るのか』ブルース・グレイソン チャールズ・P・フリン共編(春秋社)
『「死ぬ瞬間」のメッセージ ある少年の臨死体験』野堀拓路 カール・ベッカー(読売新聞社)
『死の体験 臨死現象の探求』カール・ベッカー(法蔵館)
『「死」が教えてくれること』カール・ベッカー 坂田昌彦(角川書店)
『「死ぬ瞬間」と臨死体験』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
『神は人を何処へ導くのか』鈴木秀子(クレスト社)
『臨死体験 光の世界へ』メルヴィン・モース ポール・ペリー(TBSブリタニカ)
『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』バーバラ・ハリス ライオネル・バスコム(講談社)
『光のなかに再び生まれて 臨死体験から学ぶ人生の意味』シェリー・サザランド(人文書院)
「夢」現象について
よく亡くなった子どもが夢に出てきてくれたという話を聞きます。 聞けば、本当に亡くなった子どもに会ったように、親はそのリアリティーさを訴えます。
人は毎日、睡眠をとります。夢を見る時もあれば、見ない時もあります。
夢・・・、夢とはいったい何なのでしょうか。
夢といえば、フロイト、ユングの名前が浮かんでくる人は多いのではないでしょうか。
精神科医であるフロイトは、1890年頃から夢の研究をはじめたと言われます。当時の欧米社会では、遺伝的要因が精神的症状を起こすとされていましたが、フロイトは個人の深層心理が精神的症状を起こすという考えを打ち出しました。これは多民族社会であるヨーロッパで、その民族性による精神的症状であると烙印を押されていた人々を惹きつけました。フロイトは患者の心理を患者の見た夢で詮索し、その精神的的症状の治癒を図りました。
そのフロイトに師事したのが、同じく精神科医であるユングでした。後にユングはフロイトと離反し、独自の夢分析による治療法を発表していきました。
ユングは、フロイトの考えの他に外的要因も夢治療の要素としています。亡くなった人が会いに来る夢、予知夢、預言夢も外的要因に入ります。2001年にニューヨークのビルに飛行機が突撃した事件は、それ以前に世界の多くの人が予知夢で見ていたそうです。また、普通の人でも何かあった時、これは夢で見たことがあるようなといった予知、あるいは預言夢のような話は聞いたことがあるのではないでしょうか。 夢とは、その人一人の感情の問題でつくり出すものとした時、どうしてもそこに無理が生じます。何か向こうから来ているという外的要因も考慮に入れないとつじつまが合わなくなってしまいます。(そもそもユング本人が霊能者であり、彼の母方の家系は皆当たり前のことのように霊との交信を行っていましたので、彼にとって外的要因を受け入れやすかったのではないかと思います。)このユングのやり方は、師匠フロイトを超えて人々に支持され、今でもユングの夢治療のほうが重きをおかれています。
そして、今もチューリッヒのC・G・ユング研究所では、ユングの夢の研究が行われています。
しかし、夢の研究は近代にはじまったわけではありません。 古くは旧約聖書にも古代エジプトで夢占いが重要な位置を占めていたと書かれています。そして、ファラオ(王)の夢が政治を左右することさえありました。
インドでは、ジャガデーヴァが『夢のかぎ』という夢の歴史を書いていますが、人々は太古から夢に関心を示していた様子が記されています。
我国でも高僧、明恵上人の『夢記』が遺されています。
『ギリシア神話と宗教史』の中では、夢は大きく分けてごく普通の夢と重要視すべき夢の二種類に分けられるとしています。 また、この重要視すべき夢も更に二つに分けられます。亡くなった人が来てくれるような外から来る夢とハイアーセルフ(自分の中の本当の自分自身)が語る自分の内面から来る夢です。 ここにユングの興味深い報告があります。ユングの調査によると、「未開人は、めったに夢を見ない。」のだそうです。未開の環境とは、誰と何を話しても構わない、秘密がない、文明人なら体裁が悪いと隠してしまうようなことも平気で話すそうです。自分の胸の内も周りはいつも知っており、正に筒抜けという環境だそうです。
文明人とは、社会の体面のために生き、しだいに自分にさえも偽った自分を演じてしまっているという悲しい現状があるように思われます。そこで、自分自身の素直な情報を知らせるため、ハイアーセルフが夢という様式を用い自分に訴えかけるそうです。ユングは、患者の見たたくさんの夢の中からハイアーセルフからの夢を探し、何を訴えているか見定め、それを患者に知らせることによって精神的症状の治療に役立てました。
古代ギリシャでも、夢は真の神託とみなされ、『目醒めている人々はただ一つの共通な世界をもっているけれども、眠りにおいては各自がそれから離れて自分自身の世界へ向かう。なぜなら、眠りにおいて魂は退き自分自身に集中する。』と、言われています。
これは、人の脳のアルファ波状態を指しています。睡眠時、人の脳は目覚めている時のベータ波からアルファ波を通り、眠りのシータ波へと移行します。亡くなった人やハイアーセルフはこのアルファ波をねらってやってきます。(アルファ波については、第3回大空の会のテーマをご覧ください) なぜなら、ベータ波だと自意識が多くて入る余地がなく、シータ波だと眠りに入ってしまいます。自意識を排除し、しかも脳が活動できるのがアルファ波です。 だから、亡くなった子どももこのアルファ波の時に夢に出てきてくれます。
夢とは、亡くなった子どもに会えたりハイアーセルフに会える素晴らしいひと時とも言えます。
今宵も、いい夢を見れたら・・・いいですね。
瀬野彩子
参考文献
『精神分析入門』 フロイト(新潮社)
『夢判断』 フロイト(新潮社)
『自我論・不安本能論』 フロイト(人文書院)
『夢分析』 C・G・ユング(人文書院)
『自我と無意識』 C・G・ユング (思索社)
『無意識の心理』 C・G・ユング(人文書院)
『ユングの人間論』 C・G・ユング (思索社)
『ユング心理学概説』 C・A・マイヤー(創元社)
『夢の治癒力』 C・A・マイヤー(筑摩書房)
『夢と人間社会』 カイヨワ/グリューネバウム(法政大学出版局)
『前世療法』的関わりについて
全米ベストセラーとなり、人々の意識を大きく変えたと言われるマイアミ大学医学部精神科教授、ブライアン・L・ワイス著の『前世療法』(PHP研究所)。原書のタイトルは、『MANY LIVES,MANY MASTERS』(たくさんの生、たくさんの精霊たち)です。 今回は、この『前世療法』から亡くなった子どもとその親との関わりを探ります。
1980年、キャサリンという27歳の女性がワイス博士の診察室を訪れました。彼女は大学病院の検査技師でしたが、神経症と強迫観念に悩み続けしだいに悪化、日常生活にも支障をきたすようになっていました。
ワイス博士は、キャサリンに週に1度か2度の割合で従来の様々な方法で治療してゆきました。しかし、彼女が良好に向かう様子はありませんでした。
そこで、次の治療として催眠療法を使うことにしました。アメリカでは、1958年に催眠療法を医療に使用することが正式に認められており、心理療法に盛んに用いられています。
催眠療法でキャサリンの幼い頃に戻り、今の症状の原因を探しましたが、これもなかなか功を奏しそうにありません。
そこでワイス博士は、
「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい。」と、指示しました。
するとキャサリンが語りはじめたことは、今生ではなく過去生のようでした。その過去生では、彼女は水の事故で亡くなりましたが、彼女の水に対する恐怖は薄らいでいきました。
その後、次々と過去生を見ていき、キャサリンの症状は次第に良くなっていきました。しかし、ワイス博士の中では過去生とは何かはっきりしないものがありました。
ある日、催眠にかけられたキャサリンは突然ワイス博士にこう言いました。
「あなたのお父様がここにいます。あなたの小さな息子さんもいます。アブロムという名前を言えば、あなたにわかるはずだと、あなたのお父様は言っています。お嬢様の名前はお父様の名前からとったそうですね。また、彼は心臓の病気で死んだのです。息子さんの心臓も大変でした。心臓が鳥の心臓のように、逆さになっていたのです。息子さんは愛の心が深く、あなたのために犠牲的な役割を果たしたのです。彼の魂は非常に進化した魂なのです。・・・彼の死は、両親のカルマの負債を返しました。さらに、あなたに、医学の分野にも限界があること、その範囲は非常に限られたものであることを、彼は教えたかったのです。」
キャサリンの語ったことは、すべて事実でした。ワイス博士の父親は心臓の病気で亡くなりましたし,息子も心臓の障害が原因で亡くなりました。また、娘の名前は父親の名前からとりまた。しかしそれらすべては、キャサリンが知り得るはずもないことでした。
驚きのあまりしばらく沈黙の時が続きましたが、ワイス博士は気を取り直して聞きました。
「誰があなたにこんなことを教えてくれるのですか。」
「マスター達です。マスターの精霊達が私に教えてくれます。」
このことを境にワイス博士は、催眠療法でキャサリンの過去生を追いながらマスター(精霊)達の言葉も聞いていくようになります。
キャサリンの催眠療法は18ヶ月間に及びました。彼女は地球上に86回生まれましたが、出てきた過去生は12回でした。ワイス博士に「またしても彼女は召使いだった。」と、言わせるほどそのほとんどが召使いの過去生で、有名な人物とは縁がありませんでした。
はじめて見た過去生ではこんなことを言っていました。
「建物に向かって、白い階段が見えます。柱のたくさんある白い建物で、前の方はあいています。入口はありません。私は長いドレスを着ています。・・・ごわごわした布でできた袋のような服です。私の髪は長い金髪で編んでいます。」
「アロンダ・・・、私は18歳です。時代は紀元前1863年です。」
ワイス博士は何年か先に進むように指示しました。
「私は25歳です。私にはクレアストラという名前の女の子がいます・・・彼女はレイチェルだわ。(レイチェルは現在の彼女の姪である。二人はとても親密な関係にあった。)とても暑いです。」
時をもっと進めて死ぬ場面に行くよう指示しました。
「大きな波が木を押し倒してゆきます。どこにも逃げ場がありません。冷たい。水がとても冷たい。子どもを助けないと。でも、だめ。子どもをしっかりと抱きしめなければ、おぼれそう。水で息がつまってしまった。息ができない、飲み込めない・・・塩水で。赤ん坊が私の腕からもぎ取られてしまった。」
キャサリンはあえぎ、苦しそうでした。突然、彼女の体がぐったりして呼吸が深く、安らかになりました。
「雲が見えます。・・・私の赤ん坊も一緒にいます。村の人達も。私の兄もいます。」
彼女は休んでいました。その人生は終わったのでした。
また、キャサリンがエリックというドイツ人だった時、英米との戦いで戦闘機を操縦し若くして亡くなりました。戦いに出向く前、幼い娘のマーゴットと時を過ごしていました。
ワイス博士は言いました。
「マーゴットをよく見てください。彼女が誰だかわかりますか?」
「あっ・・・ジュディだわ。」ジュディは現在、キャサリンの一番親しい友人でした。二人ははじめて会った時、一瞬にして親しみを感じよい友だちになりました。絶対的な信頼をもち、二人は口に出さなくても相手の考えていることや必要としていることがわかるほどでした。
そして、ワイス博士に診てもらうようにとキャサリンに強く勧めた医師、エドワードは何度も彼女の過去生に出てきます。キャサリンとエドワードは、出会ってすぐ心が通じ合い、友情が芽生えたそうです。出てきた過去生での二人の間柄は、すべて親子でした。
途中、エドワードは亡くなりますが、彼は精霊となり、催眠療法中のキャサリンの前に何度も現れ、彼女にメッセージを残していきました。
キャサリンとエドワードの関系はよほど近いものがあるようです。
私達の亡くなった子どもも今生だけという短いものではなく、過去生でもまた未来の生でもいっしょなのかもしれません。深い関係の者同士が、そうやすやすと離れられるものとも思えません。 しかし、なぜ死という別れがあるのでしょうか。
催眠療法中のキャサリンの口を通じて深く響きのある声のマスター(精霊)が言いました。
「人間はこの三次元の世界にいつやって来て、いつそこを離れるのか自分で選ぶのだ。こちらの世界へ送られてきた目的を達成した時、我々は自分でそれを知る。自分の時間が終わったのを知り、死を受け入れるのだ。これ以上この人生では何も得ることができないと知るからだ。」
「我々の使命は学ぶことである。」
と、しゃがれた声のマスター(精霊)も言いました。
「命には終わりがない。そして、人は決して死なないのだ。新たに生まれるということも本当はないのだ。ただ異なるいくつもの場面を通り過ぎてゆくだけなのだ。終わりというものはない。人間はたくさんの次元をもっている。時間というものは、人が認識しているようなものではない。答えは学びの中にあろう。」
延々と続く終わりのない命、親子という深い関わりのある者同士、また深い関わりを続けていくのではないでしょうか。死と呼ばれるものが別つことなど有り得ないのではないかと思います。
瀬野彩子
参考文献
『前世療法』 ブライアン・L・ワイス (PHP研究所)
自律訓練法の紹介
自律訓練法とは、1930年代にベルリン大学医学部教授、J・H・シュルツによって創案された自己催眠から自分自身をコントロールしようという方法です。
今、自律訓練法はヨーロッパ、アメリカなどで盛んに行われていますが、中国にも自主訓練という名前で紹介されるようになりました。
ストレスの多い現代社会を生きていくには、何よりも自分自身の力で自分のリラックスした心身の状態をつくらなければならないという状況に置かれているのではないかと思います。自律訓練法は、自己催眠から起こすセルフコントロール法から心身の回復、維持、増進を図ろうとするものです。
1932年、シュルツは『自律訓練法』という本を世に出しました。ドイツをはじめヨーロッパ各地で自律訓練法は急速に受け入れられていきました。
シュルツが、1970年に亡くなるまでに自律訓練法の研究は続けられ、『自律訓練法』の本は13回も増補改訂されました。
その後シュルツの後を受け継ぎ、何人もの医学者が研究を重ねていきました。その中で、ルーテは自律訓練法をヨーロッパから世界に広げた功績者であり、応用範囲の拡大という実績も残しています。
自律訓練法の標準練習として以下が主要素となります。
{背景公式}「気持ちが落ち着いている」
〔第1公式〕「両腕、両足が重たい」(重感練習)
〔第2公式〕「両腕、両足が温かい」(温感練習)
〔第3公式〕「心臓が静かに打っている」(心臓調整練習)
〔第4公式〕「楽に呼吸している」(呼吸調整練習)
〔第5公式〕「胃のあたりが温かい」(腹部温感練習)
〔第6公式〕「額が涼しい」(額涼感練習)
まずは、寝た姿で行う自立訓練法を徐々にマスターしていきます。その後、座った姿で行う自律訓練法も練習します。この座った姿で行う方法は電車の中で座ってやってみるとか、どこかに行って緊張した場合など洋式トイレで行ってみるなどの応用もできます。
また、自律訓練法の練習の時にバッハの『ゴルトベルク変奏曲』、『G線上のアリア』として知られる『管弦楽組曲第三番二長調』第二楽章、ヘンデルの『合奏協奏曲』、『オルガン協奏曲』などをバックミュージックとしてかけよりリラックスへと導くこともできます。
自律訓練法の標準練習をマスターしたら、その上に更に特殊練習を重ねていきます。特殊練習とは、自分の悩み、欠点、気になっていることを翻す言葉を繰り返して自分に暗示をかけ、自己コントロールしていく方法です。この特殊練習こそ、自分の人生をより良くしていくものかもしれません。
1956年に丸木舟で、1957年には折りたたみ式ボートで大西洋単独横断に成功したリンデマンは、シュルツの弟子であり医学、体育学を修めた学者でもありました。一度目は65日間、二度目は72日間の航海でしたが、転覆などにもみまわれ様々なパニックや不安、恐怖がありました。しかし、シュルツから学んだ自律訓練法でそれらに立ち向かい成功をおさめることができました。
リンデマンは自律訓練法の特殊練習として「必ず成功する」、「進路を西に取れ」、単独横断なので「人に頼らない、助けを求めない」をずっと繰り返していたそうです。冒険に欠かせない自信をつける、依存心をなくす自己暗示をリンデマンは使いました。これは精神的な苦痛、不安の除去、更にはそれによる体力消耗をできる限り防ぐことになりました。
アメリカ航空宇宙局(NASA)では、宇宙飛行士の訓練の一つとして自律訓練法を用いています。大西洋横断も孤独ですが、宇宙に出るのも母なる星、地球を離れるのですから孤独や不安が多いのではないでしょうか。毛利衛氏は自律訓練法を身につけ宇宙空間の中、助けられたということでした。
シュルツは、精神分析を創始したフロイトとの会話で「人を治すことはできないとしても、植木屋がするようにその人の成長を妨げるものを除くことはできる。」と話しています。
自律訓練法とは、その人を妨げるものを取り除き、その人がもっている可能性を純粋に発揮できるようにする方法のようです。
瀬野彩子
参考文献
『ストレス解消の決め手 自律訓練法』 佐々木雄一 (ゴマ書房)
『自律訓練法 不安と痛みの自己コントロール』 A・ミアース (創元社)
『自律訓練法の医学』 伊藤芳宏 (中央公論社)
『ストレスに克つ自律訓練法』 笠井仁 (健康ライブラリー)
『脳波の新世界』 稲永和豊 (青春出版社)
アルファ波から起きる現象
人が最も落ち着きリラックスした時の脳波は、アルファ波(アルファ波とシータ波の上の方のあたりともいわれますが、ここではアルファ波という言葉であらわす。)とされますが、が、催眠療法も、亡くなった子どもが夢にでてきてくれる時もアルファ波だそうです。
また、霊能者、芸術家、スポーツ選手達、その道の人がその道を行う時もアルファ波が測定されます。
果たしてこのアルファ波とは、いったい何物なのでしょうか。
よく心電図という言葉を聞きますが、これは心臓が出す電気です。アルファ波は脳波の中の一つですが、脳波とは脳が出す電気でそれは波打つように変動していきます。
脳波は大きく分けて5つに分かれます。
ガンマ(γ)波 興奮状態の時 周波数 30 ~ 40ヘルツ以上
ベータ(β)波 普通に生活している時 周波数 14 ~ 30ヘルツ
アルファ(α)波 リラックスしている時 周波数 8 ~ 13ヘルツ
シータ(θ)波 浅い眠りの時 周波数 4 ~ 7ヘルツ
デルタ(δ)波 熟睡している時 周波数 1 ~ 3ヘルツ
19世紀末にドイツの生理学者、ハンス・バーガーが脳波を発見しました。
1929年、ドイツの精神医学者、H・ベルガーによってはじめて人の脳波が記録されました。最初に記録した脳波を、ギリシャ文字の一番はじめの文字αを当てアルファ(α)波としました。それ以外の脳波をベータ(β)波と呼び、アルファ波と区別しました。
その後、デルタ(δ)波の存在もわかってきました。
1943年、イギリスの大脳生理学者、グレー・ウォルターによりシータ(θ)波が発表されました。theta(シータ)とは、ギリシャ語で「新婚夫婦が最初に性の営みを行う部屋」という意味だそうです。
その後、エレクトロニクスの技術の進歩によって脳波の周波数も測定されるようになりました。
アルファ波をほぼ自在に出せるという人によると、アルファ波を出している時は、頭の中をサラサラと小川が流れているような気がすると言います。
確かにアルファ波が出ている時には、βエンドルフィンというホルモンが、脳から適度に流れ出ています。しかし、このホルモンはモルヒネと同じ働きがあり、多量に出ると感覚麻痺を引き起こします。でも、適度にβエンドルフィンが出ていると、適度な感覚麻痺によって人間のさまざまな雑念を抑えてくれる働きがあるようです。
シータ波、デルタ波に入ると眠りに入ってしまいます。世欲のことを考えている時はベータ波、怒ったり驚いた時はガンマ波です。世欲と眠りのちょうど中間のいいところがアルファ波のようです。アルファ波になると、本来の無垢な自分に近い状態になるといっても過言でないと思います。
よく夢で亡くなった子どもが出てきてくれたという話を聞きます。(大空の会では、時折にテーマで夢を取り上げます)
誰でも眠りに着く頃、目覚める頃、脳波は必ずアルファ波を通ります。起きている時なかなかアルファ波になりにくいタイプの人には、この眠りの前後のアルファ波をねらって、亡くなった子どもからメッセージを伝えてくることもあるようです。
将棋名人やスポーツ選手、芸術家など彼らが自分の仕事をしている時の脳波を測定した人はたくさんいます。彼らの調子いい時には、仕事をやりはじめてすぐにアルファ波になるそうです。
自分の得意分野を行っている時、我を忘れ夢中になることで世俗の雑念をおさえアルファ波となり、自分本来のエネルギーでその人にその人以上のことをさせるのかもしれません。
アメリカの科学者、ブラッド・バーガーが、ノーベル賞受賞の科学者を対象に、いつノーベル賞にいたるような仕事のヒントを思いついたかという調査をしました。それによると87パーセントの科学者が、研究室で真剣に考えている時ではなく、のんびりとくつろいでいるひとときになんとなくヒントが湧いてきた、あるいは寝床の中で思いついたという調査結果でした。
湯川秀樹博士の中間子論はベットの中で考え出され、福井謙一博士はよく明け方に起きて枕元のメモ帳に鉛筆を走らせたそうです。
しかしどんな人でもボーッとしている時や我を忘れて自分の好きなとこに没頭している時にはアルファ波が計測されます。
脳波をアルファ波にするのを少しでも自分でコントロールする方法として、自律訓練法(大空の会会員用無料貸し出しテープに、『自律訓練法』があります)があります。これはベルリン大学のシュルツ教授(神経生理学者)が、自己暗示による身体的変化を起こしてアルファ波にする方法として考案しました。
また、禅が脳波をアルファ波にし、家で毎日心静かにお念仏をあげる人、写経をする習慣のある人が、それをはじめればアルファ波になっているという報告もあります。
しかし、最も簡単なのは、ボーッとしている時にアルファ波を出しているというタイプ。確かに眠りの前のまどろみかけている時、寝起きのボーッとしている時は誰でもアルファ波になっているのですから、昼間の生活の中にそれを自在にもってくることができれば、アルファ波をコントロールしていることになるのではないでしょうか。
私達は起きている時、ベータ波で生活をしています。ストレスの多い現代社会ですので、ある時はガンマ波も出てくるかもしれません。そのような中、少しでもアルファ波の時間を多くとってリラックスしたいものです。
毎日何か一つ、その人それぞれに合ったアルファ波になるような事を見つけ、行っていけば、心身ともに癒され、健康のためにもいいかもしれません。 瀬野彩子
参考文献
『アルファ脳波革命』 志賀一雅 (ゴマ書房)
『驚くべきストレス革命[脳波]の新世界』 稲永和豊 (青春出版社)
『脳波の旅への誘い』 市川忠彦 (星和書店)
『座禅の科学・脳波から見たそのメカニズム』 平井富雄 (講談社)
『α波革命』 村井健司 (高輪出版社)