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発表されたテーマ
    大空の会より    
子どもを亡くした家族に捧げるテーマⅡ



ハイアーセルフを検証する

『シルバー・バーチの霊訓(一)』より

『青い鳥』が伝える死後の世界

コナンドイルのメッセージ

秋山庄太郎「癒しの花」

お迎えの人々

中間世を語る子ども

『古代霊は語る』より


幼い子どもが教える天国への旅立ち

佐藤愛子『私の遺言』より

大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅣ

                             大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅢ

                            大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅡ

                             大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるのテーマⅠ


 ハイアーセルフを検証する

 大空の会の 12月のテーマにおいて、「天国との交信」を行っています。これは、いわゆる退行催眠で天国の子どもと交流することを目指します。(大空の会では、無料で 行っています)

 ある女性の退行催眠を紹介します。彼女は息子を亡くし、夫のドメスティックバイオレンスに悩み、病弱な娘の看病に疲れ果て、自分の人生を嘆いていまし た。
 彼女は催眠状態に入り、まず亡くなった息子に会うことができました。それから過去世へと向かいます。そこには夫と彼女と亡き息子が家族として暮らしてい ました。夫も息子も過去世からの縁で今世も家族となったようでした。
 そしてこの後、何者かが出てきて、彼女にこんなことを告げました。
「今世でのあなたの人生は、あなたが計画した通りであり、大変順調で、あなた自身も満足しています。・・・今世でのあなたの重要な役割は、病弱な娘を育て ることです。」
 その何者かとは、彼女の心の内に存在する何者かのようでしたが、彼女が思ってもいないことを語りました。しかし、彼女にはそれが彼女への的確な解答であ るとわかりました。そしてその何者かとは、退行催眠によく登場するハイアーセルフ<意識下の偉大なる自分自身>だったのです。
 『生きる意味の探求』の著者、グレン・ウィリストン博士は、こう教えてくれます。
「特殊な問題をかかえている人々にとっては、出来うれば、その人のハイアーセルフとコミュニケーションすることが、手っ取り早くその問題を解く鍵となりま す。
 『自我』(エゴ=主観的自己)と自我が被っている『人格』という仮面(パーソナリティー・マスク)を超越して初めて私たちは現実をしっかり認識すること ができます。この現実認識こそが『幸福』を経験するための絶対条件です。
 ものごとをすべて理性で片付けようとしたり、感情に走りすぎると、ものの見方が歪み、混乱や苦痛を生みます。そこでハイアーセルフを媒体にすることに よって私達は客観的に現実を認識できるようになります。心と体を治癒させる最も直接的でドラマティックな力は、このハイアーセルフとのコミュニケーション から生まれるということを私は経験から学びました。」

 以下の二例は、ウィリストン博士による退行催眠で被験者自身により語られたハイアーセルフの言葉です。
① 博士「彼女はなぜ今回の人生で、このような苦痛に耐えなければならないのでしょうか?」
「今回生まれ変わった時、彼女は『他人の気持ちを察すること』を課題として与えられました。彼女はそれまで何回かの人生を通して、もっと強力な高振動のエ ネルギーの教えについて学んできたので、しばらく苦痛とは縁がなかったのです。そこで今度の人生では苦痛を経験して他人の心を理解すること、それによっ て、将来、人を助けることができるようになるだろうと考えたのです。」

② 博士「現在の人生でどのようなことを学ぶことができるのでしょうか?」
「忍耐、謙遜、内に秘めた強さ、そして潜在的な能力を学ぶことです。」

 再びウィリストン博士は語ります。
「ハイアーセルフとは、自我の中心(フォーカス・セルフ)であり、過去、現在、未来に地球上に存在した全生物の自己エネルギーの集積、あるいはそれ以上の 力ということができます。または魂の精髄とかすべてのパーソナリティーを客観的に一体化したものとでも表現できます。
 人々は自分の口から湧き出てくる叡智に満ちた言葉や、きらりと光る直感に驚かされます。そのような考えは自分の意識のレベルから出てくるはずがないから です。
 ハイアーセルフは常に変わることなく私達を勇気づけ愛してくれます。自己の精神の根源を認識している限り自分自身を見失うこともないし、長いあいだ真実 から遠ざかってしまうこともありません。自分の正体は、不安におののく自我ではなく、もっと大きな存在(ハイアーセルフ)なのだと信じることができればと 思います。
 そしてこのハイアーセルフには退行催眠だけではなく、自己催眠、瞑想、夢でも出会うことができます。」
 大空の会には、会員用無料貸し出しテープの「ハイアーセルフに会う」を聞いてハイアーセルフに会えたという人達もいます。
 また、何もしていない時や、何も考えていない時、あるいは何かしてても心ここにあらずという時などに、心の奥底からあるいはどこかから、響くような声が 聞こえてくることはないでしょうか。
 ハイアーセルフの教えてくれる自分の役目やアドバイスは、今の自分の意図するものとは違うことの方が多いようですが、今世、過去世、未来世も考え、宇宙 的視野で自らを見た時、ハイアーセルフの導きが最も自分に合う生き方であるようです。
 また、自分のハイアーセルフの声が聞こえないと思っている人も多いと思いますが、そういう人はきっと夢の中でハイアーセルフと会話しているのかもしれま せん。
 なぜあなたが、今、この世に存在するか、その意味をハイアーセルフは知っていて、且つあなたに教えているからこそ、あなたがこの世で肉体を持ち活動して いるのではないでしょうか。
 もし、この世でのあなたの仕事が終わった時、きっとハイアーセルフがそう教えてくれて、天国へ旅立つのかもしれません。
                                  瀬野彩子

 
              
     参考文献
『生きる意味の探求』グレン・ウィリストン&ジュディス・ジョンストン (徳間書店)





                    

            『シルバー・バーチの霊訓 (一)』より
 
伝統を重んじ る国、イギリス。街には何百年もたつような古い建物がたち、人々は古い物、古い習慣、古くから伝わる心霊主義も大切にしてきました。数多くの心霊研究所 は、今も変わることなく活発に機能しています。
 後進国では昔ながらの心霊主義が伝えられていますが、欧米及び日本では近年の文明の発展とともに、心霊主義は俳他的なものとして扱われてきました。しか し、ここにきて文明の最先端といえる欧米の大学の医学部の研究から心霊主義の勃興となりました。(参照:第20回大空の会のテーマ「現代科学と太古の智慧 の生死観」)
 しかし、伝統を重んじるイギリスでは文明の発展に惑わされることなく、脈々と受け継がれてきた心霊主義を手放さず大切にし、人々の心の糧、礎としてきま した。
 そのイギリスのある心霊研究所に、1920年代後半から50年余りにわたり、霊媒を介して高位霊シルバーバーチが降臨、人々に教訓を与えました。(参 照:第24回大空の会のテーマ「『古代霊は語る』より」)

 シルバー・バーチは、こう教授します。
「時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように見 えることがあります。しかし、その観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません・・・
 あなた方にとって悲劇と思えることが私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸運と思えることが私どもから見れば不幸だと思えること もあるのです。祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかし、それは必ずしもあなたが望んでいるとおりの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって いちばん望ましい形で与えられます・・・
 あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があるのです。」
 「地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上 進化を促進するにはどういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ実際に肉体に宿ってしまうとその肉体の鈍 重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です・・・
 もしかしたらそのブループリントさえ自覚できないかもしれません。でも魂は神性を宿すが故に常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。時 にはそれが悲嘆、無念、苦悩、病苦という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目を覚まさせることになります。」
 
前回の大空の会のテーマ「『青い鳥』が伝える死後の世界」の中でチルチルとミチルが訪れた「未来の王国」では、これから生まれる子ども達が生まれてから体 験する苦悩の入ったお土産の袋をもって、嬉々として誕生の旅へと出発していきました。(参照:第35回大空の会のテーマ「『青い鳥』が伝える死後の世 界」) もしかしたら、そのお土産の袋の中身の苦悩とはシルバー・バーチの語るようにあなたにカツを入れ、霊的目覚めを促すためのものかもしれません。
 「霊的知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。そして、霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。そうすることは暗闇で苦悩する人々 に光を与える小さな灯台となることになります。 全てが陰気で暗く侘しく感じられるこの地上において人を元気づけてあげることができれば、それだけであな たの人生は価値があったことになります。」
 「こちらへ来た人間が『両方の世界を体験したが、自分は不公平な扱いを受けている』などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りませ ん。神は絶対に過りを犯しません。誤りを犯すことがあったら宇宙は明日という日もおぼつかないことになります。」
 この世的見方をすれば、不公平にさえ見える人の人生、しかしシルバー・バーチは大局的見地で人の幸、不幸、悲喜を語り、霊的成長をするために誕生前から 計画した人生の苦痛の意味とその役割を教えてくれました。

 今日もイギリスでは多くの心霊研究所から霊的教訓が発せられ、人々のハイアーセルフ(意識下の自分自身)から霊的真理が語られているのではないでしょう か。
 しかし、そうした中でもシルバー・バーチの霊訓ほどその珠玉の言葉の数々より私たちを霊的向上へと導く道光が携えられているものはないように思います。

                                   瀬野彩子

      参考文献
 『シルバー・バーチの霊訓(一)』アン・ドゥーリー編(潮文社)
 『古代霊は語る』近藤千雄編(潮文社)
 『青い鳥』モーリス・メーテルリンク(新潮文庫)




 『青い鳥』が伝える死後の世界
 チルチルとミチルが登場し、しあわせの青い鳥を探す童話『青い鳥』、誰もが幼い頃に出会った『青い鳥』ですが、作者のメーテルリンクは1862年から 1949年に生きた人でした。また、1911年にはノーベル文学賞を受賞しました。
 メーテルリンクは、人間の意識下の世界へ潜み入る詩人、霊魂の神秘をさぐる戯曲家として知られます。『青い鳥』の原作は戯曲で、その中には死後の世界が 伝えられています。

 時はクリスマス前夜、チルチルとミチルのところに妖女が現れ、わずらっている自分の娘がしあわせになるために、青い鳥を探して欲しいと頼みます。そし て、チルチルとミチルは青い鳥を探すために旅に出ます。
 まずは「思い出の国」に行きました。思い出の国には、死んだおじいさんとおばあさんと三人の弟と四人の妹がいました。元気な彼らを見てチルチルが言いま した。
チルチル「おじいさんたち本当に死んでいるんじゃないんだね?」
おじいさん「(びっくりして)なんだって? 今なんていったね? どうもお前たちは、わたしたちの知らない言葉を使うねえ。それは新しい言葉かね? 新し く発明されたのかね?」
ミチル「死ぬっていうこと?」
チルチル「人が生きていないということなんだよ。」
おじいさん「あちらの人たちは、ばかだねえ。」
おばあさん「みんな生きることをやめてから、ずっと元気になったんだよ。もう何もこわいことはないし、病気にもかかりっこないし、心配ごともないから ね。」
 この世で死んだと思われた人達は、思い出の国で元気に生きていて、死ということが受け入れられないようでした。
 その思い出の国で見つけた青い鳥ですが、籠に入れるとたちまち黒い鳥に変わってしまいました。
 それから「夜の御殿」、「森」、「墓地」と青い鳥を探しに行きましたが、青い鳥はつかまえられなかったり、つかまえても死んでしまったりして手に入りま せん。
 そして「未来の王国」に行きます。そこは、生まれる時を待っている子供たちがたくさんいました。子供たちはみな手に袋を持っていますが、生まれる時は必 ずその袋をお土産にもって生まれないといけないそうです。一人の子供がチルチルのところへやってきます。
子供「チルチル、こんにちは」
チルチル「どうして、僕の名前を知っているの?」
子供「・・・君の弟になるんだもの・・・」
チルチル「なんだって? 君、僕のうちに来ることになっているの?」
子供「ええ、そうなんです。来年の復活祭の前の日曜日にね。・・・」
チルチル「君のその袋の中には何が入っているの? 何か持ってきてくれるの?」
子供「(とても得意げに)僕、三つの病気を持っていくんだ。猖紅熱と、百日咳とはしかだよ」
チルチル「へえ、それで全部なの? それからどうするの?」
子供「それから? 死んでしまうのさ。」
チルチル「じゃ、生まれるかいがないじゃないか。」
子供「だって、どうにもならないよ。」
 その時、「時」が生まれる扉を開けにやってきました。「時」は、子供たちがちゃんとお土産の袋を持っているかチェックしています。
時「・・・それからお前は何を持ってきた? 何も持ってこないと? 手ぶらか? ではここを通ることはならん。何かを用意してこなけりゃいかん。大きな罪 でも、病気でも、・・・何かを持ってこなければだめだ。」
 「時」は生まれる扉を開け、生まれる船に子供たちを乗せ、さあ出発です。これから生まれる子供たち、まだ生まれない子供たちの間に最後の激しいどよめき が起こり、みんな急いで別れのあいさつをかわします。
 生まれる船は出発し、乗船した子供たちからは、
「地球だ、地球だ。見えるよ。きれいだなあ。明るいなあ・・・」
と、深淵の底からわき上がるような喜びと希望の歌が歌われます。
 これから生まれる弟にも出会った「未来の王国」では、青い鳥がたくさん飛んでいました。チルチルとミチルは嬉しくなって青い鳥をつかまえました。しか し、赤い鳥に変わってしまいました。
 やがてチルチルとミチルが気が付くと、彼らは自分の家に戻っていました。チルチルとミチルに青い鳥を探してと彼らに頼んだ妖女そっくりの隣のおばあさん さんが来て、チルチルとミチルの飼っているキジバトを自分の娘にくれらないかと頼みます。チルチルとミチルがキジバトを見ると、なんとキジバトが青い鳥に かわっていました。
 童話では、遠く探しに行かなくても近くにしあわせの青い鳥がいたで終わりますが、原作はちょっと違います。
 チルチルが隣のおばあさんの娘さんに青い鳥になったキジバトをプレゼントしようとしている時、その鳥は逃げて飛んで行ってしまいます。娘さんはしあわせ を取り逃がしたかのように嘆き、チルチルはその鳥のゆくえを客席に問い、幕がおります。

 この世とは何かを学ぶために来ているところ、あるいはこの世的しあわせは、その学びを経験するためには不要なのか、せっかく探しあてたしあわせの青い鳥 はどこかへ飛び立ってしまいました。鳥のようにどこかに飛んでいってしまう届くような届かぬような微妙なしあわせを現したストーリーともいえます。
 しかし、この『青い鳥』の解釈は多様です。童話でも原作でもその人なりの解釈で楽しめばいいのではないでしょうか。
 どちらにしろ、しあわせの青い鳥は不滅で、いつまでも人々の心に灯る明かりのように存在するのではないかと思います。
 
                                   瀬野彩子
                                  
        参考文献
『青い鳥』モーリス・メーテルリンク(新潮文庫)
『死後の存続』モーリス・メーテルリンク(メルクマール)
『貧者の宝』モーリス・メーテルリンク(平河出版社)
『青い鳥のゆくえ』五木寛之(朝日出版)
『あおいとり』モーリス・メーテルリンク(講談社)



            コナン・ドイルのメッセージ 
 
 『シャーロッ ク・ホームズ』の著者、コナン・ドイル、しかし彼が生涯をかけて尽力したのは、愛する人を亡くした人々に慰めと希望をもたらすための心霊主義探求と霊性普 及でした。そして、死後も天国からのメッセージを送ってくれました。

 コナン・ドイルは1859年にイギリス、エディンバラに生まれました。エディンバラ大学医学部卒業、後に医学博士号を取得しました。
 1882年、ポーツマス市に医院を開業しましたが、患者が来ないので暇をもてあまし書きはじめたとされるのが、『シャーロック・ホームズ』です。
 1900年のボーア戦争に軍医として参戦、そのひどい惨状に落ち込んで帰国したといわれます。また、第一次世界大戦では長男を失いました。
 その後、心霊学を研究、世界に心霊学を広める活動をしていきました。『心霊術史』、『コナン・ドイルの心霊学』などの著書もあります。
 コナン・ドイルは、1930年に亡くなりましたが、生前に死後の世界を伝えに来ると予告し、その通りミネスタという女性を霊媒として7ケ月間、死後の世 界を人々に伝えました。
 この死後のメッセージは、1933年に『Thy kingdom come』として出版され、イギリスにおいて非常な反響を巻き起こし、更に世界に翻訳 されていきました。現在の日本でも講談社から『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』として出版されています。

 コナン・ドイルは、心霊主義についてこう述べています。
 「心霊主義は、この世とあの世の壁を打ち砕くものであり、・・・人類が深く苦しんでいるときにあって希望と導きを呼びかけているものである・・・心霊主 義を探求する人は、ふつうの場合、今は霊の世界にいる愛する人との接触を願っています。・・・今は亡き、父親、母親、夫、妻、兄弟姉妹、子どもなど、愛す る者との再会ほど喜びに満ち、心を慰めてくれるものがあるでしょうか。彼らが失った人々は死んだのでもなければ、どこか遠くに行ってしまったのでもなく、 非常に近いところにいて、コミュニケーションをはかることすらできるのだということ、そして、彼らは安らぎと喜びの中で生活しているのだとわかってもらう こと、それが私の最大の関心事だったのです。」
 さらに、
 「今、私は言葉に表すことができないほど美しい天の世界にいます。そこには本当に素晴らしい場所も用意されています。これは心霊主義者がいうサマーラン ドよりも遥かに美しい場所で、ここですべての魂がもう一度再会することになっています。
 心に銘記してください。ここは、あらゆるレベルの人間の生命体が再会する場所です。ということは地上で肉体を持った人間もここに上昇することができるの です。・・・愛情の絆によって結びついた人たちが再会し、挨拶を交わすことができます。」
と、教えてくれました。
 
しかし、こうも語っています。
 「愛する者同士のこの世とあの世のコミュニケーションは、両者にとってきわめて価値のあるものです。しかし、こちらの世界にいる私たちもそちらの世界に いるあなたたちも、それぞれに達成しなければならない仕事があります。・・・(再会でき心の落ち着きを得たならば、)それぞれの任務に戻っていかなければ なりません。・・・でないと、仕事を達成することはできません。」
 また、大空の会でも、誕生日や命日など天国に行った愛する人の記念日を大切にする人がいますが、それらは天国においてもどういう意味があるのか。それに ついてコナン・ドイルはこう教えてくれています。
 「誕生日、誕生の場所、誕生の状況、環境といったものに単なる偶然があるなどとは考えないでください。・・・霊が地上に肉体を持って生まれたのはその霊 にとっては常にエネルギーに満ちた日です。・・・誕生日、死亡した日、その他、人間の魂に影響を及ぼすような出来事が起きた日に、その体験があった場所 に、その霊の波動が生じるのです。」
 そして、コナン・ドイルに心霊主義探求と霊性普及の真髄を語ってもらいます。
 「(人の魂は、幾世もかけ霊的上昇を目指しています)人が神のような存在になるためには高みに昇るだけではなく(誰もが)最も低いところ、深い淵まで落 ち、最も深い地獄の底を通り抜けて、やがて自分の住む場所となる天界に達しなければなりません。・・・この深遠な真実を把握すれば同胞である他の人々を責 めることはなくなるでしょう。なぜなら、他の人々も自分自身も完全な魂の達成という目標に向って、あらゆる経験をしながら努力しているのだということがわ かるからです。・・・同胞愛以外の生き方などというものは、世界が歩むべき道の選択肢として開かれていないのです。」
 それから、人類全体の変化について言及しています。
 「数々の大きな変化がやってきます。素晴らしい一条の光が地球に向けて注がれており、人類がそれに呼応した動きを見せています。人類がこの光に対してど の程度応じるか、その程度によって人類全体の霊性が高まり、地球全体の波動が上がっていくことになるでしょう。」

 人は誰もが幾世もかけてあらゆる経験をする中で、愛する人が天国へ先立ちそのコミュニケーションを求めることから端を発し、霊性追求に向かいます。そう するとすべての魂が通る道を解釈していくことが出来、同胞愛に繋がっていきます。それが人々の学び、そして精神向上となり、地球全体にもいい様相をもたら していくとコナン・ドイルは明言しています。
 
                                   瀬野彩子
                           
 


                秋山庄太郎「癒しの花」

 なぜ人は亡き人に花を捧げるのか。世界どこでも葬儀にはいつも花があり、祭壇に花を供え、あるいは棺に花を納めます。
 亡き人に花を捧げる風習は、遥か遠い昔からありました。
 ネアンデルタール人は、20万年前に出現し3万年前に滅亡したとされますが、イラク北部のシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人の化石からは数種類の花の花粉が発見され、副葬品として花を添えていたことがうかがえます。
 また、3千年前に埋葬されたエジプトのファラオ、ツタンカーメンの黄金の柩の上には、ヤグルマソウの花束が一つ置かれていました。
 ツタンカーメンは、母を継母に殺され、その継母の政力抗争のため王にされ、そして殺されました。唯一心が許せたのは王妃アンクエスエンアメンだけでした。側室がいて当たり前とされた時代に王妃アンクエスエンアメン以外の女性を生涯愛することはありませんでした。
 1922年にツタンカーメンの王墓を発掘したイギリス人、ハワード・カーターは、BBC放送に次のような録音テープを残しています。
「黄金の柩の上には、枯れた花束が一つ置かれていた。それは若い王妃が亡き王に手向けたものと思われた。墓の中はどこも黄金で輝いていた。しかし、どの輝きよりも枯れたその花束の方が数段美しいと思えた。」
 絢爛豪華な黄金の王墓、副葬品の数々よりも枯れた一束の花の方が、人の心を打ったのでした。
 世界に数多く存在する臨死体験者たちは、天国の花を絶賛します。天国には、この世にはない程のきれいな花園やお花畑があり、彼らはそこにずっといたかったと語っています。
 ある少年は、臨死体験中に川の向こうの美しいお花畑を見つけました。彼はその川を渡りお花畑に行きました。すると曽祖父が出てきて、すぐ帰るよう言われました。少年は、「(この)きれいな場所にいたい。」と言いましたが、「今度、役目を果たしたとき来い。」と強く言われ、川の反対側に帰されました。しかし、またあの美しい所へ行きたくてしかたなかったので、すきをうかがって行くと、今度は曾祖母が出てきて「今すぐ帰れ。絶対に来るな。」と追い帰されてしまいました。
 生まれる前の天国の様子をまだ憶えていて、それを語る4歳の女の子はこう言います。「(天国は)お花がいっぱい咲いてた。」何色のお花?「赤、ピンク、黄色、青・・・。」お花の高さは?「これくらい(約50センチくらい)。すごくきれい。」どんなにきれい?「光ってた。」
 花の本来のもつ美しさ、華麗さ、そして咲く花のアピールを表現する人がいました。写真家、秋山庄太郎氏です。後半生に職業というより趣味の分野で花を撮りはじめました。最初、周りからはどうして儲からない花を撮るのかと怪訝に思われたそうです。しかし、彼はライフワークとして憑かれたように花を撮りはじめました。この世の雑念、雑多な出来事、そのようなものを意図せず、たおやかに咲く花、その花に自分の思いを託すことが出来ると言います。
 彼のすばらしい感性と写真技術で花はよりその花らしく撮影されていきました。そして、「(僕の)葬儀の時は、僕が撮影した花の作品をたくさん飾って欲しい。」との遺言を遺し、2003年1月16日に他界しました。遺言通り、葬儀には花と共にたくさんの花の作品が飾られ、「いささかの 紅を残して 冬の薔薇」の彼の俳句も添えられていました。
 有史以来、人と花とは切っても切れない関係です。人は捧げられた花と共にこの世を後にし、そして天国でも花に迎えられます。お墓に花を添え、仏壇に花を供え、亡き人と語り合いますが、花は秋山庄太郎氏の語るようにその思いを託せるのかもしれません。
 はかなげだけど強い存在感のある花、自らの美しさそのままに華麗に咲く花、その物言わぬ花は、私たちの心を癒し、亡き人も癒してくれるようです。
 この世でも天国でも、私たちは花を愛し続けるのではないでしょうか。
                                                  瀬野彩子
        参考文献
『秋山庄太郎自選集1~3』(小学館)
『昭和写真全仕事 秋山庄太郎』(朝日新聞社)
『花の表情』(小学館)
『カメラひとつで飛び出して』秋山庄太郎(文藝春秋)
『麗しの銀幕スタア』秋山庄太郎(小学館)
『世界ふしぎ発見』吉村作治監修(幻冬社)
『ツタンカーメン ファラオの都テーベ 吉村作治の文明探検』吉村作治(平凡社)
『ネアンデルタール人と現代人ーヒトの500万年史』河合信和(文春新書)



                お迎えの人々

           

 日本でも昔から「お迎えが来る」という言葉がありますが、世界中どこでも死期の迫った人がお迎えの人々を見ているという報告は多数あります。
 それは、「デスベッド・ヴィジョン(死の直前の幻視現象)」と呼ばれ、お迎えの人々の出現、あるいは楽園のような死後の世界の出現、そして医学的に説明のつかない幸福な気分、歓喜、穏やかさの出現などです。このデスベッド・ヴィジョンは、多くの社会の民間伝承やすべての時代の文学や伝記にみられ、何世紀にも渡って、差し迫った死のサインと見なされています。
 最近の調査では、死の直前に適度に意識が清明な状態にある2分の1から3分の1の人がデスベッド・ヴィジョンを語っています。そして、お迎えの人々の91%が、死んだ肉親、しかも両親、配偶者、子ども、兄弟姉妹だそうです。
 
 アメリカのテノール歌手、ジェームズ・ムーアを看取ったニューヨークの医師、ウィルソン博士の報告です。
「その時、ジェームズはひじょうに穏やかな顔をして目が澄んでいました。彼は私の両手を取り、『ドクター、あなたは、私の良き友人でした。よく面倒をみてくれました。』と言いました。彼は完璧なほど理性的で、私がそれまでに見た誰よりも精神的に健康な状態でした。・・・
 そして、私が診るようになって以来、聞いたことのないほどの大声で、『母がいる! ああ、母さん、僕を見にここに来てくれたのですか? いいえ、僕が母さんの方へ行きます。ちょっと待って、母さん、もう少しで行きます。今、そっちに行きます!』と、叫んでいました。
 彼の表情は言葉に出来ないほど幸福そうでした。彼の話す様子は彼が本当に母親と話しているのだと、私に確信させました。
 私に言えるのは、彼は『別の世界に移行した』ということです。」

 また、神奈川県のSさんは、
「・・・祖母は自宅で亡くなりました。・・・76歳でした。亡くなる時、娘や息子(私からすると叔父、叔母にあたる)がまわりを取り囲んでいました。祖母の意識が弱まると『おばあちゃん、しっかりするのよ。』と、声をかけていました。
 何度かこういうことを繰り返していると、祖母が目を開けて『もう呼ばないでおくれ。白い蝶がたくさん飛んでいて、花もたくさん咲いている。そこへ行こうとすると、お前たちが呼ぶから、また戻ってきてしまった。もう呼ばないでおくれ。』と、息もたえだえに言いました。
 叔母たちは、『天国に行くんだね。』と言って、呼びかけをやめました。まもなく臨終になりました。」
と、語っています。

 シカゴ大学医学部教授だったエリザベス・キューブラー・ロス博士は、『死ぬ瞬間』の著者としても有名ですが、多数の子ども達も看取りました。
「子どもたちは、死の直前に私が『透んだ瞬間』と呼ぶひとときを持ちます。事故あるいは手術後、ずっと昏睡状態にあった子どもが目を開いてとてもしっかりしているように見え、大きな痛みや不快感を感じていた子どもが穏やかで安らかな表情になる時、『もしよかったら、今、体験していることを話してくれませんか?』と尋ねてみます。
 ある少年は、『ええ、今はみんな大丈夫です。もうお母さんとピーターが僕を待っていてくれるから。』と、答えました。満足した笑顔で、その少年は再び昏睡状態に戻り、死と呼ばれる移行をしていきました。
 私は、彼の母親が事故で即死したこと、しかしピーターは死ななかったことを承知していました。ピーターは、救出される前に車が引火したため火傷をし、重度火傷患者専用部門のある別の病院に運ばれました。私は少年の言葉を受けピーターの容体を聞いてみようと決心しました。しかし、その必要はありませんでした。というのは私がナースステーションを通りかかった時に、別の病院からピーターが数分前に亡くなったことを知らせる電話が入りました。
 私はきまって重症の子どもに付き添いましたが、たいていの子ども達は事故で家族の誰が死んだかは教えてもらえません。でも、子ども達は必ず誰が死んだかをちゃんと知っています。これには驚かされました。
 何年も研究してきましたが、・・・必ず先に死んだ人、それも私達が愛していた人、たとえば何十年も前に亡くなった子どもとか、祖母とか父とか母とか、そのほか私達の人生において大事だった人たちが出迎えてくれます。・・・
 この段階にくれば、誰もひとりぼっちで死ぬのではないということがよくわかります。」
  
 この世で死と呼ばれるものは、慈愛に満ちたお迎えの人々が出迎えてくれる別の世界への移行のようです。私達の先立った愛する人も、お迎えの人々に迎えられ、しあわせに旅立っていったのではないでしょうか。
 お迎えの人々に感謝しつつ、先立った愛する人の幸慶を祈り、いつの日かやってくる私達の受けるお迎えの人々の慈愛のために、今をより良く生きられればと思います。
                                                       瀬野彩子
          参考文献
   『あなたは死なない』イアン・カリー(PHP研究所)
   『新・死ぬ瞬間』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
   『死ぬ瞬間の子どもたち』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
   『死ぬ瞬間と臨死体験』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
   『臨死体験』立花隆(文春文庫)
   『証言・臨死体験』立花隆(文芸春秋)
   『生きがいの夜明け』飯田史彦(インターネット)




                          
         
                中間世を語る子ども

 朝日新聞(2001年9月23日付)は、産婦人科医の調査結果から幼い子どもの53パーセントが胎内の記憶をもち、41パーセントが出生時の記憶を もっていると発表しました。
 また、アメリカ出生前・周産期心理学協会副会長を務める心理学者のデーヴィット・チェンバレンは、『誕生を記憶する子どもたち』 という生まれる前からその後までの子ども達の記憶を実証していった本を出版しました。この本は世界的に話題を呼び ましたが、それに追随するように世界各地で幼い子どもの生まれる前や出生時の記憶を主題にした本が刊行されていきました 
 この『誕生を記憶する子どもたち』では、二歳の男の子がバスタブの中で遊んでいる時に母親にこんな質問をしてきたそうです。 「僕が生まれてきた時わからないことがいっぱいある。どうしてあんなに明るかったの?・・・どうしてあの人達は顔の下の方を 緑のハンカチで隠してたの?・・・どうして僕の鼻に管を入れてジュルジュル吸ったの?・・・眼に変なお水を入れられていやだ ったなあ。ぜんぜん見えなくなっちゃったよ。それにプラスチックの箱に入れられて、どこかに連れて行かれちゃって、本当にい やだったなあ。」またある男の子は、お母さんのお腹の中にいた時のことを話していました。「あたたかくて気持ち良かったよ。 ドキンドキンて音も聞こえたし、お母さんの声も聞いていたよ。泳いで遊んでたから出たくなかったんだ。」子ども達は、お腹の 中のことを「水の中」や「池にいた」、あるいは「泳いでいた」ということが多いようです。「ヘビもいた」とも言いますが、こ れはどうやら臍の緒のことのようです。そして、「トンネルを通って、まぶしくて寒いところに出てきた。」ともよく言っています。
しかし、実際には親がきちんと聞いてないだけで、統計よりも多くの割合の子ども達が生まれる前の記憶をもっていると思われます。
デーヴィット・チェンバレンは、「もし、あなたが自分で調べてみようと思うなら、リラックスした雰囲気の時を選んで彼らと向 き合い、やさしく『○○ちゃんは、生まれた時のことを覚えてる?』と訪ねてみるといい。言葉で聞き出せない場合も語彙に制限 があるせいで、記憶自体は鮮明であるかもしれない。実物を指さしたり、身ぶりや絵など言葉以外の手段で表現される場合もある。」 と、教えてくれています。 
 私の娘が二歳の時に、「生まれた時のことを覚えてる?」と聞くと、両手の指で輪をつくり、その中に自分の頭をちょっと回す ようにしながらもっていきました。この子は覚えてるんだなあと思いましたが、それから娘に生まれた時のこと等は聞きませんでした。
しかし、娘が4歳になったある静かな夜のことでした。彼女は折り紙を切っていました。突然、両手を広げて、「こんなきれいな 家じゃなかったよ。」と、言い出しました。「きたない家だったよ。村だったよ。」私は、娘は何を言っているのかと思いました。
 そして、「光になってママのところに来た。」と行った時、この子は生まれる前のことを言っているのだと気付きました。
 私はちょうど、2003年1月の大空の会のテーマである「『前世療法』的関わりについて」の原稿を書いていましたので、 そのせいもあって『前世療法』の著者、ブライアン・L・ワイスを真似て彼女に質問をしていくことが出来ました。
「前に住んでいたところは誰かいた?」
「誰もいなかった。」
「寒いところ?」
「寒いところだった。でも暑いこともあったし、寒いこともあったよ。」
「山?」
「ううん。」
「海?」
「山じゃない。海の近くでもない。(両手を広げて)広いところ。赤ちゃんだった。」
「髪は何色?」
「髪は黒。クルクルだった>(天然パーマのことらしい)。」
「目は何色?」
「目は黒。」
「肌は何色?」
「肌は、白とピンク。」
「名前は?」
「わからない。」
「何年くらい前?」
「わからない(この年齢では年代はわからない)。」
「テレビは?」
「なかったよ。」
「冷蔵庫は?」
「なかったよ(そんなものがあるわけないという顔をする)。」
 どうも、どこかの村に生まれ赤ちゃんの時に亡くなったようでした。
「神様が『帰ってきたね。』って言ったよ。」
「向こう(天国あるいは中間世)は、どんなところ?」
「向こう(天国あるいは中間世)は、お風呂みたいなお布団みたいな・・・」と、気持ち良さそうに言います。
「向こう(天国あるいは中間世)で何してたの?」
「その神様とずっと遊んでた。」
「何をして遊んだの?」
「いろいろ。その神様がママのところに連れてきてくれた。光になってママのところに来た。」
「神様がママのところに行きなさいって言ったの?」
「ううん、私が来たの。神様は連れてきてくれただけ。」
「どうしてママのところに来たの?」
「ママがかわいかったから。」
「光になって来るってどんな感じ?」
「ウルトラマンみたいな感じ。」
この後もいろいろ聞いてみましたが、忘れたと言っていました。娘のどこか遠くを見るような、また確固とした口ぶりが、いつの 間にか普段の娘に戻っていました。
 そして、数日後にまた自分から言い出しました。
「向こう(天国あるいは中間世)にいた時、望遠鏡があってママを見ていた。」
「どんな望遠鏡?」
「(大きくて丸いような形を手であらわしながら)赤い望遠鏡。お腹の中でも望遠鏡で見てたよ。」
「誰かいた?」
「ママとパパとモコちゃんがいた。モコちゃんがギャーギャー言ってた。」
 モコちゃんとは、少し前におばあちゃんがくれたとても大きなお人形です。ふとモコちゃんを見ると、亡き息子に似ていること に気が付きました。娘がお腹にいた頃、息子は一歳半くらいでした。モコちゃんは、ちょうど一歳半くらの子どもの大きさで、ふ っくらしたほっぺや顔形がその頃の息子によく似ていました。
 またある日、娘は向こう(天国あるいは中間世)の神様のお話をはじめました。
「神様は、黄色い髪(金髪という言葉を知らない)で長~いの。白い長いお洋服を着てたよ。」
「神様とお話した?」
「フ~~~ン(歌うように何かを言う)。」
「何語でしゃべってるの?」
「フ~~~ン。赤ちゃん語。フ~~~ン(と、また歌うように言う)。」
「他に子どもはいた?」
「何人かいたけど、アヤノちゃん(今のお友達)もいた。」
「神様とどこかへ行った?」
「遊園地に行ったよ。」
「誰かいた?」
「誰もいなかったけど男の子が遊びに来てたよ。男の子は、男の子の神様と一緒に来た。」
「その男の子は、こっちで会ったことある?」
「ある。」
「誰?」
「う~ん、わからない(どうも会ったことがあるけど名前がわからないようです)。」
そして、向こう(天国あるいは中間世)の遊園地の絵を描いてくれました。一年後にまた向こう(天国あるいは中間世)の遊園地 の絵を描きましたが、同じ絵でした。
またある日、お絵描きをしてるので何を描いているのかと思ったら、ママのお腹の中だそうです。
「お腹の中は狭いと思ったら、こんなに広かったんだよ。・・・お腹すいてて、ストローがあってチューチュー吸ってたの(臍の 緒のことを言ってるようでした)。・・・早く生まれさせてよって言ってたの。・・・早く生まれさせてよってプンプン怒ってた の。お腹をボンボン蹴ってたの。・・・やっと出られた。明るいと思ったの。」 

 ある幼児教室の先生が子ども達に生まれる前のことを聞いたところ、
「子ども達は、ごく当たり前のように答えた。初めはびっくりしたが、どの子も実にすんなり、きのうのことのように思い出すを 聞いていると、なんだかそれが普通のことのように思えてきた。」
と、言っています。 
『輪廻転生』の著者であり、トロント大学医学部教授のJ・L・ホイットンは、
「死後の生は、生まれる前の生と同じであり、私達はほとんど誰もが肉体をもたない魂として別の世界に何度も住んだことがある。 私達は、無意識の上では、この世について知っているのと同じくらいあの世のことをよく知っている。・・・このバルド(天国あ るいは中間世)こそ、私達の住むべき世界で地球という惑星は魂の進化のために必要な試験場であるにすぎない。これまで多くの 成果があがってはいるものの、今だに生と生のはざまは真価を知らぬまま地下に埋もれている資源のようなものである。広範囲に わたる調査研究を行いさえすれば、あの世の秘密がさらに詳しくわかるだろうし、それを人間の進歩に役立てることもできよう。」
と、述べています。
 私達が忘れてしまった尊秘な体験は、生まれて数年しかたたない幼い子ども達が教えてくれます。 その子ども達の真摯な語り に耳をかたむければ、未開の境地の開拓と新たな心受を得られるように思います。 
 

                                  瀬野彩子

         参考文献
   『輪廻転生』J・L・ホイットン(人文書院)
   『誕生を記憶する子どもたち』チェンバレン(春秋社)
   『胎児は見ている』T・バーニー(詳伝社)
   『人生の価値』飯田史彦(PHP研究所)
   『誕生の記憶』春秋社編集部編(春秋社)
   『胎内記憶』七田眞 つなぶちようじ(ダイヤモンド社)
   『子宮の夢・宇宙の夢』加藤晴之(PHP研究所)
   『子宮の記憶はよみがえる』ロイ・リッジウェイ(株式会社めるくまーる)





             
              
                        『古代霊は語る』より

 古代霊シルバー・バーチは、1920年代後半から50年余りにわたりイギリスに降来、類稀なる美しい語りと共に人はなぜ生きるかを教示してくれました。その珠玉の言葉の数々は、日本でも『古代霊は語る』(潮文社)、『シルバー・バーチの霊訓』(潮文社)として刊行されています。
 当時、イギリス新聞界の法王として名高いハンネン・スワッハーのホームサークルでシルバー・バーチの霊訓は語られていきました。そして、それが新聞に掲載され世界的にも話題となりました。霊媒として選ばれたのはモーリス・バーバネル、シルバー・バーチによると彼が母体に宿る前から準備をはじめ、誕生してからも霊媒として活躍できるよういろいろな知識を身につけさせたそうです。また、地上に少しでも多くの霊的真理をもたらそうと様々な霊達も協力、これら一団の団結のもと、霊媒バーバネルの身体を借りてシルバー・バーチの霊訓が人々に向けて語られるようになりました。

 シルバー・バーチはこう言います。
「私がもしも真理を求めて来られた方に気楽な人生を約束するような口を利くようなことがあったら、それは私が神界から言いつけられた使命に背いたことになりましょう。私どもの目的は人生の難問を避けて通る方法を伝授することではありません。困難に立ち向かい、これを征服し、一段と強い人間に成長していく方法を伝授することこそ私どもの使命なのです。」
「苦しみには苦しみの意味があり、悲しみにも悲しみの意味があります。暗闇があるからこそ光の存在があるのと同じです。その苦しみや悲しみを体験することによって真の自我が目覚めるのです。」
「悲しみは、魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。悲しみはそれが魂の琴線にふれた時、一番よく眠れる魂の目を醒まさせるものです。魂は肉体の奥深くに埋もれているために、それを目覚めさせるためには余ほど強烈な体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。」
「失意のドン底にある時はもう全てが終わったかの感じになるものですが、実はそこから始まるのです。あなたにはまだ発揮されていない力、それまで発揮されたものより、はるかに大きな力が宿されているのです。それはラクな人生の中では決して発揮されません。苦難と困難の中でこそ発揮されるのです。」
この世に生きる者にとって大変厳しい言葉の数々ですが、子どもを亡くしたという強烈な体験をした私達にとっては、シルバー・バーチが語るように、実はこれからが始まりかもしれません。そして、これまで私達の内に宿されていた発揮されていない力が発揮される時なのかもしれません。
 果たしてその力を何に活用していけばいいのか、シルバー・バーチ全編を読めば、彼は人助けの意義を強く説いていることがわかります。
「一人の人間が他の一人の人間を救おうと努力する時、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。誰かが先頭に立って藪を切り開き、後に続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらねばなりません。やがてそこに道が出来上がり、通れば通るほど平坦になっていくでしょう。」
また、シルバー・バーチの願いも語っています。
「私たちの願いは、あなたがたに生き甲斐ある人生を送ってもらいたい、もてる知能と技能と天賦の才を存分に発揮させてあげたい。そうすることが地上に生を享けた真の目的を成就することにつながり、死と共に始まる次の段階の生活に備えることにもなる。そう願っているのです。」
 そして、
「あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、遠くもなりましょう。が、決して去ってしまうことはありません。その人たちの念があなたがたを動かします。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖や悩み、心配等の壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。・・・穏やかな心、やすらかな気持、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が寄ってまいります。」
と、教えてくれました。
「そのうちあなた方も肉体の束縛から開放されて曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば紆余曲折した、一見とりとめのない出来ごとの絡み合いの中で、その一つ一つがちゃんとした意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解するはずです。」
 愛しい我が子が天国に先立ったことも、人生の中のいろいろな辛いこと苦しいことも意味があり、今世だけでなくこれからも連綿と続く魂の旅の意義を諭してくれています。

                                                      瀬野彩子



               

         
 幼い子どもが教える天国への旅立ち

 幼くして亡くなる子どもは、自分の死を悟っているようなところがあります。
 天使が天使のまま旅立っていくような、そんな幼い子どもたちが教えてくれる天国への旅立ちのお話です。

 あどけなく純真で罪を知らない幼い子どもたち、彼らの笑顔を天使の微笑みともいいます。そして、その天使の微笑みほど私たちの心を和ませてくれるものはありません。
 彼らは、まだ親の庇護を必要とし、また彼らも親にそのすべてに近いものをゆだねて育っていきます。
 そんな愛しい子どもが、親の手を離れ天国へと旅立つという大変厳しい現実に直面した時、親はそれをどう受け止めていったらいいのでしょうか。また、幼い子どもはその死をどう見ているのでしょうか。

 シカゴ大学医学部教授だったエリザベス・キューブラー・ロス博士は、子どもの描いた絵から子どもの感情を分析できるように、自分の死が近いことさえもその絵に描かれていると言います。
たとえば、脳に腫瘍があるのなら、絵のどこかに必ずそれが描かれています。そして、その子にどのくらいの時間が残されているか、病状は悪化しているか、それとも快復しつつあるのかも見て取れます。更にその子のやり残した仕事さえも知ることができるそうです。
 これは、ユング派分析家のスーザン・バックが十五年間働いたチューリッヒの病院で子どもが自発的に描いた絵から様々なものを見て取る方法を開発し、ロス博士が用いたものです。
ロス博士は、何千人もの子どもにこの方法を実行しましたが、病気だけでなく殺された子どもも事故で亡くなった子どもも死期が差し迫った子どもたちは、自分がいつどんなふうに死ぬかを絵の中で語っているそうです。

ロス博士によるとこういう報告もあります。アメリカの東海岸に住む母親の体験記です。
「ある朝、四歳の娘のRが抱きついてきて、私は揺り起こされました。
『ママ、ママ、イエス様がおっしゃったのよ。私は天国へ行くんですって! 私は喜んで天国へ行くわ。ママ、そこはとっても美しくて、金や銀に輝いていて、イエス様と神様がいらっしゃるの・・・』
 そんなことを矢継ぎ早にしゃべりまくります。娘のRは、いつもおとなしい子でしたので、彼女が普段と違って語気が強く非常に興奮していたことに私は動揺しました。私は彼女をなだめ、静かにするようにもっとゆっくり話すように言いました。
『いい子だから、ちょっと待って、落ち着いてね。・・・もしあなたが天国に行ってしまったら、お母さん寂しいわ。・・・確かにあなたがそんな幸せな夢を見たのは、お母さんだってうれしいわよ。』
『夢ではないのよ、本当のことなんだから。・・・でも、心配することはないのよ、ママ。だってイエス様がおっしゃったのよ。私はママのお世話をしてあげることもできるし・・・何も心配することなんてないんだから・・・』
 それからしばらくの間、彼女は多幸症にでもかかっているように天国のすばらしさをしゃべり続けました。
『本当に本当のことなんだから。』
 そして、その日の昼下がりの三時から三時半の間に娘のRは殺されました(故意に溺れさせられて)。
 その間にある人に娘の興奮した状態の会話を話していましたが、その人は、
『どうやってRは自分の死を知ることができたのかしら?』と思ったそうです。
 ある朝、Rは目を覚ますやいなや、イエス様に会ったと言い張って私に天国について語り、そしてそこにこれから行くのよ、と言いました。それから七時間もたたないうちに死んでしまったのです。」

 ロス博士は二十年間、死の床にある子どもと接して、自分が死ぬことを知らないという患者には一度も会ったことがないそうです。
「治らない病気にかかっている子どもは、老賢者のように聡明です。」
と彼女は言います。そして、
「子どもたちにとって、死は別の世界への旅立ちなんです。繭から蝶になって飛び立つようなもの、向こうの世界での楽しみもいっぱいあります。」

 ロス博士に届いた手紙を紹介します。
「昔々、ある小さな天使が神の光の中に住んでおりました。その小さな天使は、地上界でたくさんの人生を生きてきましたし、天上界で神やほかの天使たちと語り合ってもきました。だから、彼女はとても賢かったのです。彼女は、いわば『老熟した』魂だったのです。あと少しで神と一体となるところでした。しかし、彼女はもう一度だけ地上界へ旅をしたいと願いました。天使は、思いやりと寛容と理解をさらに学ぶために地上界に降りた二つの美しい魂に触れ、やさしいおばあさんのような気持ちを感じたのです。天使は以前に地上でこの二つの魂とともにいたことがあり、もう一度ほんの少しの間この二つの魂とともに過ごし彼らに影響を与えたいと思いました。
天上界から下を見おろしながら、その天使はもう一人の天使に言いました。
『私は、あの二つの魂に合流しようと思うの。でも、ほんのわずかの間だけ。さもないと私の目的が叶えられないもの』と。」

 幼くして亡くなる子どもは、本当に天使が天使のまま天国に旅立つようです。
 私たち親にいろいろな感情の存在を教え、様々な影響を与え、親のこの世での仕事を助けるために、限りない愛情をもってやってきて、そして天国へ旅立っていきます。
 しかし前述のRちゃんが言うように、天国へ旅立った後もママのお世話をしてくれている深い愛をもった偉大な天使です。

 
                                        瀬野彩子

参考文献
  『新・死ぬ瞬間』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
        『死ぬ瞬間の子どもたち』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
       『死ぬ瞬間と臨死体験』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)





            佐藤愛子『私の遺言』より 

 作家、佐藤愛子氏は、大正12年に大阪で生まれました。 
 昭和44年、『戦いすんで日が暮れて』で第61回直木賞を、昭和54年に『幸福の絵』で女流文学賞を受賞しました。ユーモア溢れる世相風刺と人生の哀歓を描く小説およびエッセイは多くの読者の心をつかんでいます。平成12年には、佐藤一族に流れる情念の血を書いた大作『血脈』で第48回菊池寛賞を受賞しました。
 
 昭和50年に、佐藤氏は北海道の浦河という町の山腹に別荘を建てました。ところが、その別荘では思いもかけぬ超常現象が起きるようになりました。人里離れた山中なのに窓の外を人が歩く音がする、水を流す音がする、夜中に屋根の上を人が歩く音が続いた時はパトカーを呼び見廻ってもらいましたが、異変は見つかりませんでした。他にも、少し留守をしている間に換気扇が取り外され床の真中に置かれている、水などない居間のカーペットの上に水溜りが出来ている、電話と鍵がソファの隙間に隠されているなどもありました。また、何もしていない30分ばかりの間にベートーヴェンのクロイツェルソナタの盤がうねるように曲がり、納戸の10本のペットボトルが冷蔵庫の上に並び、そのうちの2本は中の麦茶が半分になっているなど挙げているときりがありません。
 そのうち超常現象は、東京の自宅でも起きるようになりました。突然電気が消えたりテレビがついたり電話が鳴り続けたり、更に旅先に行っても似たような現象が起きました。また更に佐藤家を訪ねた人達が、自分の家に帰るとそのような超常現象が起き出し、はたきが勝手に動いて掃除をしていることもありました。
 当然、佐藤氏の執筆活動にも影響が出てきました。原稿を書くために宿をとっても超常現象の為はかどらず帰ってきたこともありました。
 佐藤氏は、ありとあらゆる霊能者、霊媒に助けを求めました。霊能者、霊媒たちもあらゆる手を尽くし、超常現象から佐藤氏を救おうとしましたが、超常現象は、鎮まる気配を見せませんでした。

 その頃、佐藤氏は後に菊池寛賞をとることになる『血脈』を執筆中でした。その『血脈』とは、彼女の父、佐藤紅緑とその妻たちと子ども、孫たちの生きざまを綴ったものです。
 佐藤紅緑は、『あゝ玉杯に花うけて』などの小説で知られる作家でした。彼には、妻のハルとの間に5人の子ども、妾のいねとの間に2人の子どもがいました。が、シナという女性と結婚するために自分の家庭を捨てます。そのシナとの間の3番目の子どもが、佐藤愛子でした。
 ハルは、夫と離婚後ほどなくして世を去りますが、彼女の子どもたちは彷徨い、放蕩をはじめます。長男の八郎は、落第3回、転校8回、勘当17回、度々の留置所入り、次男、三男、四男も似たような経歴を重ねていきます。そこには、彼らの苦悶の人生がありました。更にその彼らの妻たちとその子どもたちの苦闘も書かれています。
 当然、佐藤愛子自身も登場します。彼女は、最初の夫をモルヒネ中毒で失い、二児を婚家に残し、再婚します。しかし、二度目の夫は破産の憂き目に遭い、佐藤氏はその莫大な借金を返済していきます。そして、婚家に残してきた長女は病死します。彼女の明るく快活な表情からは、察しもつかないような試練の人生です。
 そのような中で、長男の八郎は父の文才を受け継ぎ、サトウハチローの名で「リンゴの唄」、「ちいさい秋」などで知られる詩人として大成しました。

 佐藤氏が『血脈』を書こうとしている頃、彼女は霊能者の江原啓之氏の師匠である寺坂多枝子女史と電話で話したことがありました。
 その時、女史が突然、
「あ、ちょっと待ってください。」と言ってから、
「今、こんな声が突然電話に入ってきました。『愛子がオレのことを書こうとしているけど、書くなら書け』と言うんです・・・。」
それから女史はつづけました。
「佐藤さんはなにか、ハチローさんのことでも書くんですか? こんなことも言っています。『オレはとにかく、そのたびに一所懸命に愛した』・・・」
そして女史は、
「なんだか怒ってるような様子でしたけど・・・。」
と付け加えたそうです。

 しかし、佐藤氏は書く意思を曲げませんでした。『血脈』は佐藤紅緑、サトウハチローファンを失望、墳らせる本になるかもしれない、あるいは暴露本かもしれないという危惧もありましたが、書きはじめました。
 佐藤氏は、これまで父の紅緑は人一倍高い理想を持ちながらどうすることも出来ない情念の力に押されて我と我が理想を踏みにじってしまう男と思い、彼の小説を造り物と批判していました。兄のハチローは、感じ易くセンチメンタルで無邪気な人間であるが、その一面鋼鉄の冷たさと子供のエゴイズムを剥き出しにしている、彼の詩を嘘つきの詩と軽蔑していました。
 だが『血脈』を書くにつれ、欲望に流された紅緑も本当の紅緑なら情熱こめて理想を謳った紅緑も本当であり、ハチローのエゴイズムには無邪気でナイーブな感情が背中合わせになっていたことも理解できるようになりました。
 『血脈』は、『別冊文藝春秋』に連載していき、13年の歳月、4人の編集長を経て2000年に書き終えました。
 佐藤氏は、この『血脈』を書くことによって佐藤一族への何ともいえない辛い哀しい愛が湧き上がってくるのを感じました。世俗的に見れば、一族を引きずり下ろしたようになるかもしれませんが、彼女の中で我が同胞という気持ちが強くなりました。

 霊能者の江原啓之氏が佐藤氏に、
「・・・佐藤家の亡き人達が一人、また一人とらせんを描きながら空へ上がって行くのが見えます・・・。ハチローもいます・・・。今、『負けた』という声が聞こえました。」
と伝えてきました。

 長年、佐藤氏を悩ませ続けた超常現象は鎮まりました。北海道、浦河の別荘も東京の自宅も静かです。
 佐藤氏は、すべては「はからい」だったと言います。過去のもろもろの苦労は、自分に与えた使命を成し遂げさせるためのもの、逃げなくて良かった、人間は苦しむことが必要なのであると語っています。

 『私の遺言』は、一連の超常現象を綴っていますが、大成した人気作家がこれだけのことを社会に伝えるということは、衝撃、波紋も大きいのではないかと思います。

                                   瀬野彩子


            参考文献
       『私の遺言』佐藤愛子(新潮社)
       『血脈』佐藤愛子(文藝春秋)
       『ソクラテスの妻』佐藤愛子(中央文庫)
       『戦いすんで日が暮れて』佐藤愛子(講談社)
       『幸福の絵』佐藤愛子(集英社)
       『あの世の話』佐藤愛子 江原啓之(文春文庫)
       『詩集ちいさい秋みつけた』サトウハチロー(みゆき書房)
       『おかあさんの詩』サトウハチロー(講談社)




これまでの発表されたテーマ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅣ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅢ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅡ
大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマⅠ


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