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発表されたテーマ
    大空の会より    
子どもを亡くした家族に捧げるテーマ

その3



『となりのトトロ』その霊的世界

『シルバー・バーチの霊訓(三)』よ り

死とは何か?

アウト・オン・ア・リムへの挑戦

『シルバー・バーチの霊訓(二)』よ り

マザーテレサその愛

天国からのメッセージⅡ

霊能力の考察

『シルバー・バーチの霊訓(二)』より

マザーテレサその愛

天国からのメッセージⅡ

霊能力の考察


大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマその4

大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマその3

大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマその2

 大空の会より子どもを亡くした親たちに捧げるテーマその1




『シルバー・バーチの霊訓(二)』より

 1920年代後半にイギリスのある青年を霊媒とし、古代霊シルバー・バーチが降来、人々に珠玉の霊訓を授けはじめ、それは50年余りの長きに渡りました。そのシルバーバーチの霊訓は当時の新聞にも掲載され、書籍として刊行されました。そして、それからも世界中で愛読され続け、今の日本でも『古代霊は語る』(潮文社)、『シルバー・バーチの霊訓(一)~(十二)』(潮文社)として出版されています。
 シルバー・バーチの霊訓は、ハンネンスワッハー氏のホームサークルで語られましたが、数名のレギュラーメンバーの他によくゲストが招かれました。
 その日のゲストは、数年前に娘を亡くし、近頃に夫を事故で亡くした婦人でした。彼女は、ローマカトリックの信者でしたが、他界した娘からの通信で死後の存続を信じるようになっていました。
 シルバー・バーチは、婦人を慰め、勇気づけの言葉を与えます。
「この度の事は、あなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とをもって対処できる方がどれだけ幸せでしょう。
 もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。そうしたものが地平線上に現れても、すぐに消えていくことに気付かれるでしょう。
 そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰でななく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。
 弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の模範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで、迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場あるいは避難場所を見出すことができるようにしてあげてください。
 あなた自らが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を成し遂げることができることの証しとなるのです。・・・」
「主人に私が何か力になってあげられることはあるでしょうか」と婦人が尋ねました。
「愛の念を送ってあげてください。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。」
シルバー・バーチは霊界との交信を薦め、その方法も教えてくれています。
「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近付きやすい時です。静寂の時こそ・・・絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は雑音のラッシュの中に置かれており、それが霊との通信を妨げ、近付くことを不可能にします。ですから少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫することです。」
 また、霊界との交信により豊かな人生が待っていると教えてくれます。
「霊のオーラとあなたのオーラが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入って来ます。どれほど多くの愛があなたのまわりを包んでいるか、それが判って頂けないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。
 人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判定します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ないことです。しかし本当は身のまわりの目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡智と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべきことがあります。そしていずれおやりになるでしょう。」
 これらは娘と夫を亡くした婦人を慰め、その上に奮い立たせ、そればかりでなく、数十年という時を経て、このシルバー・バーチの霊訓に触れることの出来る私たちを励ましてくれているようです。
 あらゆる言葉で霊界を、そして現世を生きることの苦しさの意味を説いてくれるシルバー・バーチの霊訓ですが、それは永遠に尽きることなく愛され、人々の生きる糧となってくれるように思います。

                                                    瀬野彩子


      参考文献
『シルバー・バーチの霊訓(二)』(潮文社)


第48回大空の会 大空の会  2006年12月のテーマ

マザーテレサその愛

 マザーテレサは、1910年8月26日にマケドニアのスコピエでアルバニア人夫婦の娘として生まれ、本名をアグネス=ゴンジャニボヤジューといいます。
 ちなみに、マザーテレサとは修道女としての呼び名です。
 マザーテレサの父のニコラは、建築請負業と食料輸入を共同経営で手広く営んでいました。しかしながら、彼女が9歳の時に45歳の父は毒殺され、その資産は共同経営者達に横領され、遺族にはただ家が遺されたのみでした。母のドラは、悲しみのあまりしばらくは呆然自失となりましたが、そのうちに繊維製造業をはじめ、三人の子どもを育てていきました。
 マザーテレサが12歳の時に、スコピエにあるレトニスの聖母マリア像の前で、初めて神の声を聞き、それに答えるべく自分自身を神の奉仕に捧げることを心に誓いました。
 その6年後の18歳の時に、家族および故郷と別れ、修道女となりました。そしてインドに趣き、彼女の修道生活が始まります。
 その頃のインドは、独立に向けて苦しい歩みを進めており、マハトマ=ガンジーが大衆的非暴力抵抗運動を全インド的に展開していました。1939年には第二次世界大戦の暴力に巻き込まれていき、その後もヒンズー教徒とイスラム教徒との紛争が生じ、カルカッタの街路を血の海にかえ、食物や日常品の運送は完全にストップするという事態も生じました。
 1946年の9月10日、マザーテレサはダージリン行きの汽車に乗っていました。その時、彼女はまた神の声をはっきりと聞きました。
 「すべてを捧げてスラム街にまであのお方、キリストに従い、貧しい人の中で、その方に仕えよ。」
 と。
 それは、今の修道院を出て、貧しい人々と共に住むことを意味していました。
 それからマザーテレサは、新しい修道院を創設し、修道服として水色の縁取りのある白いサリーを身にまといました。
 そして、死を待つ人の家、子どもたちの家、ハンセン病の巡回診療所などをつくり、貧しい人、苦しい人、癒されない人を助けていきます。
 インドには路上で生まれ、路上で死んでいくという、おびただしい数の路上生活者がいます。
 マザーテレサとシスター達は、誰にも看取られずに路上で死んでいく人を死を待つ人の家へ運び、身体を洗い、衣服を着せ、食べ物と薬を与えます。
 ある日、貧民街のゴミの中から虫に半分食べかけられていた男性を救い出し、死を待つ人の家へ運び世話をしました。
 その男性は、
「私は、道端で動物のように生きてきたが、愛と看護の手に囲まれて、天使のように死のうとしている。」
 という言葉を遺し、そして天使のように死んでいきました。
 またある日マザーテレサは、死を待つ人の家の老婆に、
「さあ元気を出すのよ。私はあなたに生き続けて欲しいの。あなたは、この世に生を受けてきた大切な、大切な人なんですよ。」
 と老婆の力なく、だらりと垂れた手を握り、焦点を失って虚ろになっているその瞳をじっと見つめていました。
 マザーの声がとどいたのか、むしの息をしていた老婆の口がゆっくりと開いて、言葉を押し出しました。
「あ・・・」
マザーテレサが、
「さあ、しっかりするのよ。言ってごらんなさい。」
と励まします。
 老婆は、とぎれとぎれとなりながらも、
「あ・・・りが・・・とう。」
と言いました。
 そして、老婆の目はとじられ、呼吸は止まりました。
 マザーテレサの写真家として知られる沖守弘氏は、その光景を見ていましたが、いまわの際に、はじめて人間として認められたことへの歓びが老婆から感じられたと言います。そして、老婆の辛く長かったであろう人生の旅路を想い、マザーテレサが死を待つ人々に何を与えているのかを肌身で知ったような思いがしたそうです。
 マザーテレサの修道院は、世界105カ国に504を数え、4000人を越えるシスターが属しています。(日本にも東京と名古屋と別府にあります)
 シスター達は裕福な家庭の子女が多く、彼女達は家、財産も捨て、貧しい人、病気をもつ人、苦しい人の世話にその生涯を捧げます。彼女達には修道女としてのサリー2枚と洗濯用のバケツ1つが与えられますが、私物はほとんどありません。
 彼女達は、何故にシスターになることを選択し、マザーテレサのように生きようとするのか、あるシスターはこう言います。
「ここには、シャンデリアもおいしいケーキもない。だけど、私にとっては、昔、お嬢さんでいた時よりも数十倍も楽しいの。たくさんの苦しんでいる人が私を待っていてくれる。私は貧しい人、苦しんでいる人の一人になることが出来たのよ。私は何も持ってないけれど、私の胸にはこんなに愛が溢れているわ。」
 沖氏は、
「人々はシスター達に、悲壮感とかある種の翳りといったものを連想するかもしれないけれど、それは間違っている。シスター達は決して悲壮な覚悟で仕事をしているのではない。社会奉仕とか、慈善事業をしようとしているのでもない。まして、世間の評判になろうなどとは、全く思っていない。」
と言います。
 マザーテレサは、神の啓示を受け、多くの人を助けるようになりましたが、いつも神に
「・・・私をあなたの平和の道具としてお使いください・・・。」
 と祈っています。そして、
「神は、私達にさせたいとお望みになったことを、示してくださいます。」
 と言い、そのように行動しています。
 まさにマザーテレサは強い霊媒であり、自分の身を通して神の意向を反映することを何よりの喜びとしています。シスター達も、マザーテレサと同じようにその喜びに満ち溢れています。
 「死を待つ人の家」では、シスター達がにこやかによく笑い、死を待つ人々がいるところとは思えないほどに明るく華やいだ雰囲気があります。
 そして、マザーテレサは、
「私達の仕事は、誰かに惜しみなく愛をあびせること」
 と言っています。
 シスター達のように死を待つ人の家で働けなくとも、
「誰かのために、ほんのちょっとした笑顔を見せたり、ちょっと訪ねてみたり、ランプの火をともしたり、目の見えない人のために手紙を書いてあげたり、炭のバケツを運んだり、サンダルを差し出したり、新聞を読んであげたりするようなことは、それ自体、小さなこと、ほんのささやかなことですが、実際に私達の神の愛の行動となるのかもしれません。」
 と、マザーテレサは教えてくれます。
 マザーテレサは、1997年9月5日(日本時間9月6日午後6時)に、永眠しました。
 ヒンズー教とイスラム教と仏教の混在する国、インドにキリスト教徒のマザーテレサが入り、人々の救済活動を続け、かなりな反発や脅迫もありましたが、彼女の葬送はインド国葬となり、世界から要人も参列しました。
 「歩く聖人」、「二十世紀最後の聖女」などと呼ばれたマザーテレサは、本当にその通りの一生でしたが、彼女の人となりは、素早い決断力と素晴らしい行動力をもつ肝っ玉母さんという感じの人だったそうです。
 きっと今ごろは、天国から貧しい人、苦しい人、悲しい人へ、お母さんのような慈愛をおくり、励ましてくれているような気がします。

                                                     瀬野彩子

    参考文献
『マザーテレサ』和田町子(清水書院)
『マザーテレサ あふれる愛』沖守弘 (講談社)
『マザーテレサの「愛」という仕事』ホセ・ルイス・ゴンザレス‐バラド ジャネット・N・プレイフット編(青春出版社 )
『マザーテレサ 愛のこころ最後の祈り』ベッキー・ベネネイト(主婦の友社)
『マザー・テレサ ほんとうの愛』 綾野まさる/作 (ハート出版)
『マザー・テレサ愛の軌跡』ナヴィン・チャウラ (日本教文社)
『マザー・テレサ その人と愛 沖守弘写真集』沖守弘(青也書店 )


第48回大空の会  2006年6月のテーマ

天国からのメッセージ

 かなり多くの人が経験している愛する故人とのコミュニケーション。それは、天国からの愛のメッセージです。
 『生きがいのメッセージ』の著者、ビル・グッゲンハイムとジュディ・グッゲンハイムは、アメリカとカナダに住む2000人の人々に面接し、3300件を越える故人からのメッセージを収集しました。その中には、故人からその元気な様子を伝えたり地上の人を励ましたりばかりでなく、故人からのメッセージにより助けられたというものもありました。

 カンザス州に住むウィルマは父親を心臓発作で失って1ヶ月後にこんな体験をしました。
[主人が脚を骨折して動けなくなりました。うちは農家で子どもたちもいましたから、私があらゆる仕事をこなさなきゃならなりません。
 その晩も夕食をすませた後、町までひとっ走り食料品の買出しに出かけました。車の中には私一人だけでしたから、運転しながら、とりとめもない考えにふけっていました。
 かなりのスピードで丘を下っている時、ふいに父の声が聞こえました。
 「ウィルマ、次の角を曲がるんだ。ほら速く!」
 それは、まるで、父が隣に座っているみたいな、はっきりした声でした。
 慌ててその声の通りに角を曲がってしまいましたが、こんなに急いでいるのに回り道してしまって頭がどうかしているのかしらと思いました。
 しかし、帰り道で近所のおかみさんが、
 「さっきあんたが角を曲がったのを見て、ほっとしたよ。橋が落ちているのよ。」
と、言いました。
 二本の大きな柳の木と低木の茂みに覆われるようにして、手すりも何もない平らな木造の橋がかかっていましたが、その橋がすっかりなくなっているんです。折れた板が突き出してたりもしてなかったから、その真上に来るまで橋が落ちているなんて絶対に気付かなかったでしょう。
 父の声を聞いて角を曲がらなければ、時速百キロで確実に空中に飛び出していたでしょうね。
 父の警告がなかったら、命はありませんでした。]

 フロリダ州のロビンはカレッジの一年生、ある夜、寮の自宅で何か夢を見ながら眠っていました。その彼女の夢の中へ亡き祖父がまるでテレビ番組の臨時ニュースを伝えるかのように割り込んできました。(参照:第8回大空の会のテーマ「夢現象について」)
[祖父は、私のことが心配で仕方がないという顔でした。オーデコロンと煙草の匂いもしたし、体の温かみも感じたんですよ。
 
祖父は
 「窓に鍵をかけなさい。用心を怠ってはならないよ。窓に鍵をかけるんだ。」
と、明らかに警告でした。私はびっくりして目が覚めました。
 ベッドに起き上がって周囲をながめました。部屋の窓の一個所は中庭側に面し、もう一個所は非常階段に面しています。ベッドから出て、これらの窓に鍵をかけました。
 三十分くらいたったでしょうか、廊下の向こうの部屋で悲鳴が上がりました。男が非常階段から侵入してきて、どうやらまず私の部屋の窓を試し、そのあとに、向こうの部屋へ行ったらしいです。その男は、あとで捕まりましたけど。
 祖父は、まさに助けが必要だった時に来てくれたわけです。その時わかりました。祖父は永久に私のそばにいてくれるんだって。]

 ありとあらゆる方法で天国に行った愛する人達は私達にその存在を示してきます。視覚、聴覚現象だけでなく、ラップ音や電気関係のものを動かすなどの物理現象もよく聞かれる話です。
 天国から私達を見て、自分達が天国に行ったせいで苦しんでいるならば、幸せな様子を伝え、落ち込んでいるならば、励ましをくれます。(参照:第19回大空の会のテーマ「天国からのメッセージ」)
 そして、危機なる事態が迫った時は助けてくれるようです。
 しかし、ウィルマやロビンのようにはっきりとそれを感じとれなくても、天国に行った人達は私達から知らず知らずの内に私達の意識に働きかけ、助けてくれているからこそ、今の私達があるようにも思います。
 きっと、天国に行った人達は、自分達が天国で幸せに暮らしているように、私達に地上で幸せに暮らすことを望んでやまないのでしょう。

                                                     瀬野彩子


    参考文献
『生きがいのメッセージ』(徳間書店)ビル・グッゲンハイム&ジュディ・グッゲンハイム
『あなたは死なない』(PHP研究所)イアン・カリー



第47回大空の会  2006年6月のテーマ

霊能力の考察
 霊能力とは、主に天国と地上との媒介の能力です。
 愛する人が天国に旅立つと、再会、会話には霊能力が必要となります。
 霊能者と呼ばれる人に見てもらう人もいれば、亡くなった子どもの友達から天国からのメッセージを受け取ったというようなこともよく聞きます。あるいは、愛する人が亡くなってから、急に霊能力がついたという人もいます。
 しかし、現存する最高の霊能者のひとりであるジェームズ・ヴァン・プラグ氏はその著書の中で、
 「わたしたちは誰もが生まれながらに霊能者(霊媒)です。」
 と、宣言しています。
 「いわゆる霊能者と一般の人の違いはゼロか百の違いではなく、その間のパーセンテージの違いであり、ごく普通の人でも10パーセントほどは持っています。霊能者とは霊的感覚が人並み以上に広がっている人のことで、平均して50パーセントから60パーセントといったところ。80パーセントもある人は、きわめて優秀な霊能者です。」
 言葉を発することが出来るようになった幼い子どもは、大人が耳を傾けさえすれば、お腹の中にいた時のこと、天国のこと、過去世のことなどを語ることはよくあります。(参照:第27回大空の会のテーマ「中間世を語る子ども」)そして、大人には見えないような霊を見ていることも多いようです。霊界からやってきたばかりの赤ちゃんは、ほとんど100パーセントに近い霊能者かもしれません。しかし、彼らは物質主義的価値観に染まった大人達の中で、唯物論的な見方を次々と植えつけられ育っていき、もって生まれた霊能力はどんどん衰えていきます。
 けれど、プラグ氏はその霊能力について別の角度からも見ています。
 「霊能力とはひとつの道具で、霊の世界からなんらかのメッセージを伝えるために利用する仲介なのです。霊能力の目的は、わたしたち自身のものとは異なる思考なり言葉なり感情を呼び込むこと以外にありえません。芸術家、音楽家、医師、料理人、そしてほとんどあらゆる生物が想念を吹き込まれています。多くの場合、わたしたちはそれを自分自身の考えだと思い込んでしまいますが、しばしば霊界から送られているのです。独創的な創造力は大半がこの想念から生まれます。創造性はなにも芸術の分野だけに限られたことではありません。みごとな回転を見せるバレリーナと同じようにメスを使う外科医もまた独創的なのです。」
 古代霊、シルバー・バーチ(参照:第24回大空の会のテーマ「『古代霊は語る』より」)は、こんなことを教えてくれています。
 「地上人類はいま精神的発達の段階を通過しつつあるところです。このあとには必然的に心霊的発達の段階が来ます。霊能者とか霊媒と呼ばれる人が、先駆けであることに疑問の余地はありません。進化のはしごの上を行く、いわば先駆隊です。そのうち心霊的能力が人間の当たり前の能力の一部となる時代が来ます。」
 そして、
 「星は寸分の狂いもなくその軌道を回り、潮は間違いなく満ち干きを繰り返し、四季は一つ一つ巡りては去り、それぞれ荘厳にして途方もなく雄大かつ崇高なる宇宙の機構の中での役割を果たしております。その大自然の営みの原動力である霊力と同じものを自分を通して働かせ、そうすることであなた自身もその営みに参加することができるのです。神からの遺産を受けついだ霊的存在として、あなたも神の一部なのです。」
 と、その展望も教えてくれます。
 また、このところお茶の間に流れるテレビで大活躍の霊能者、江原啓之氏は、三歳の息子を亡くし嘆いている母親にこういうことを知らせてくれました。
「あなた自身も、実は(天国に行った)息子さんとしゅっちゅう会っていると言ったら驚くでしょうか。でも本当です。睡眠中に会っているのです。人間のたましいは、睡眠中、幽体離脱してあの世に行っています。あなたも寝ているあいだに息子さんに会いに行き、お話したり、いっしょに遊んだりしているのです。それを夢として覚えている場合もありますが、忘れることがほとんどでしょう。しかし、息子さんのほうは、いつもあなたが来てくれることをちゃんとわかっています。」
 ごく普通の人間だと思っている人が、本当は霊能力を駆使し、幽体離脱して天国の愛する人と会っているそうです。更に、
 「息子さんはこうして『生きて』、あなたたち家族を見ています。ですから、こちらからもどんどん話しかけてあげてください。仏壇やお墓や写真に向かってでもいいですし、家事などしながらでも、道を歩きながらでもかまいません。思いさえ息子さんに向けていれば、どこからでも通じます。できれば声に出して話しかけましょう。そのほうがよく伝わります。」
 と、たとえ目に見えなくとも、天国の人と交信をもつ霊能力の使い方を教えてくれています。
 誰もの中に存在する霊能力ですが、その霊能力とは、天国と地上をより近くするためにあるのかもしれません。
                                                        瀬野彩子
      参考文献
『もう一度会えたら』ジェームズ・ヴァン・プラグ (光文社)
『天国との会話』ジェームズ・ヴァン・プラグ (光文社)
『古代霊は語る』近藤千雄編 (潮文社)
『シルバー・バーチの霊訓』(潮文社)
『人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅』近藤千雄(ハート出版)
『あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング』江原啓之(中央公論新社)
『スピリチュアル・メッセージ』江原啓之(飛鳥新社)
『スピリチュアルな人生に目覚めるために』江原啓之(新潮文庫)

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