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発表されたテーマ
    大空の会より    
子どもを亡くした家族に捧げるテーマ

第10回~第20回





2004・3・11 第20回大空の会のテーマ現代科学と太古の智慧の生死観

2004・2・12 第19回大空の会のテーマ天国からのメッセージ

2004・1・8 第18回大空の会のテーマ『チベットの死者の書』から

2003・10・9 第15回大空の会のテーマ『前世を記憶する子どもたち』について

2003・7・10 第13回大空の会のテーマ 霊能大国イギリス 

2003・6・12 第12回大空の会のテーマ スピリチュアル・ノート』より

2003・4・10 第10回大空の会のテーマ 臨死体験が教える死後の世界

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 第33回~第44回の大空の会のテーマ

 第21回~第31回の大空の会のテーマ

 第3回~第8回の大空の会のテーマ



第20回大空の会  2004年3月のテーマ
 現代科学と太古の智慧の生死観

 現代では主に欧米諸国の大学の医学部教授達が盛んに生死の研究を行うようになりました。
 有名なところでは、トロント大学医学部教授のジョエル・L・ホイットン、マイアミ大学医学部教授のブライアン・L・ワイス、ヴァージニア大学医学部教授のイアン・スティーヴンソン、シカゴ大学医学部教授のエリザベス・キューブラー・ロスなど。彼らの著書は世界的ベストセラーとなり、多数の彼らの賛同者の存在を示しています。
 トロント大学医学部教授のジョエル・L・ホイットンとマイアミ大学医学部教授のブライアン・L・ワイスは、心身症の臨床において退行催眠という治療法を用いました。被験者達は自分の現世の退行だけでなく、過去世、中間世までも語り出しました。その他にも世界の多くのドクター、心理学者、カウンセラー達が退行催眠を行いましたが、被験者達は一応において似通った体験を語ります。(参照:第7回大空の会「前世療法的関わりについて」)
 ヴァージニア大学医学部教授のイアン・スティーヴンソンは、世界中の前世を語る子ども達2000人を追跡調査し、その証拠まで出していきました。まだ幼い子ども達が親にしきりに前世の記憶を話し、知り得るはずもない外国語をしゃべるという、そこには否定しえない事実があります。(参照:第15回大空の会「前世を記憶する子どもたちについて」)
 シカゴ大学医学部教授だったエリザベス・キューブラー・ロスは、多くの死に直面した患者と会話し、その死を看取りました。また、臨死体験を世界から二万例も収集しました。(参照:第10回大空の会「臨死体験が教える死後の世界」)
 彼らの研究は、私達のこれまでの生死に対する観点を変えるものがあります。
 彼らが治療、調査として行ってきた中で、偶然の産物のように得てきた生死の事実には、過去世、中間世、生まれ変わりなどがあり、人は肉体は死んでも精神は死なないという現状が示されていました。
 しかし、彼らはこの世の中に新たな生死観を提供したかのようにも見えますが、彼らが唱えていることは後進国とされるインド、南米、アフリカなどで大昔から当たり前のように語り継がれていたことと酷似します。
 大昔に書かれたとされる『チベットの死者の書』や『エジプトの死者の書』などの書は、退行催眠で語られる過去世、中間世、生まれ変わりが出てきます。また、臨死体験者達が話す死後の世界とまったく同じ光景が、これらの書で既に述べられています。(参照:第18回大空の会「チベットの死者の書から」)
 日本でも民話や能の中にこれらの生死観が出てくることがよくあります。
 京都大学のカール・ベッカー教授は、昔の日本は生死に対する造詣が深かったが、近代文明が入ってくると共に後退し、今ではその面において世界の後進国であると嘆いています。そういえば源氏物語の時代、今の日本人とは違う生死に対する向き合い方がありました。
 しかし、世界的に見ても大昔から人々の間で伝承されてきた生死観が、近代文明が入ることと引き換えに一時的に途絶え、今またそれが再び文明国にも取り戻されてきた様相があります。大昔からの生死観は、本当は語り継ぐべきものだったのでしょうが、途絶えてしまったことを補うかのように現代の医学者達が盛んに研究し、今またその生死観が科学的に証明された事実として人々に受け入れられています。
 苦しい死別体験も、最先端の現代科学と太古からの智慧により緩和され癒され、今を更に意義深く生きられるよう人間本来の在り方を教えてくれます。

                                   瀬野彩子



      
 第19回大空の会  2004年2月のテーマ

  天国からのメッセージ


かなり多くの人が経験している愛する故人とのコミュニケーション。それは、天国からの愛のメッセージです。

 1987年のアメリカの全国世論調査センターが行った世論調査によると、故人と何らかの接触をもったことがあるアメリカ人は成人の42パーセント、配偶者を失った女性では67パーセントでした。
 『生きがいのメッセージ』(徳間書店)の著者、ビル・グッゲンハイムとジュディ・グッゲンハイムは、「子に先立たれた親にとって、その子どもとまた会えるという思いほどなぐさめになるものがほかにあるだろうか? 連れ合いを失った妻や夫にとって、生涯愛を分かち合った人とまた一緒になれるという信念ほど、心強いものがあるだろうか? どんな人にとっても、この地上で愛した人といつか必ず再会できるという思いほど励みになるものはないだろう。」と、語っています。
 彼らは、アメリカとカナダに住む2000人の人々に面接し、3300件を超える故人からのメッセージの報告を収集しました。

 まずは、不動産管理の仕事についている37歳のクリスティン・ベーカーの報告です。
〔娘のヘザーは、14歳でした。その晩は友だちのところへ泊まることになっていたんです。私達は11時に休みました。
 電話が鳴って目が覚めたのが、夜中の1時ごろ。受話器をとると、「ベーカーさんですか?警察です。いまお宅の玄関に来ています。出ていただけませんか?」って。「わかりました。」と答えて電話を切って、車のライトか何かがつけっぱなしだったかしらと思いながら、ベットの端にひとまず腰を下ろしました。
 それからガウンをはおり、ファスナーを引き上げながら寝室のドアへ向かいました。廊下に出ると、ヘザーがお祖父さんと一緒に立っているんです。ヘザーがとてもなついていたお祖父さんでした。でも、亡くなって6年にもなるんです。
 二人とも床から浮き上がって立っていて、義父がヘザーの体に腕をまわしています。ちゃんと普通の体で、何もかもはっきり見えました。あまりのことに首を振りながら、「でも、どうしてヘザーが義父と一緒にいるんだろう?」って思いました。
 すると義父が「ベイビー、心配はいらないよ。ヘザーは私が預かった。ヘザーはこの通り元気にしているよ。」って。やはり義父でした。義父はいつも私のことを「ベイビー」と呼んでいましたから。声だって間違いなく彼の声でした。にこにこして、とてもおだやかで、それに二人とも、とっても幸せそうなんです。ほんとに「何てことかしら」と思うばかりで、また首を振ることしかできませんでした。
 玄関のドアをあけると、警官が立っていました。私に「まあ座ってください。」と言うので、「何があったんですか?どうぞ言ってください。」と言いました。大きな自動車事故があって、ヘザーが亡くなったと告げられました。〕

 視覚、聴覚現象だけでなく、物理現象によるコミュニケーションも数多くありました。故人は、電気関係のものを動かすのが得意らしく、灯りがついたり消えたりする、ラジオ、テレビ、ステレオなどが突然鳴り出す、機械仕掛けの道具が動き出すなど、それらに類似のものが数限りなくありました。
 『眠れぬ夜に読む本』(光文社)によると、遠藤周作氏も物理現象によるコミュニケーションの体験者だそうです。
 遠藤氏が連れの男性 I と長崎の「ボン・ソワール」というバーに行ったところ、こんな話を聞きました。ある日、ホステスがトイレに行くと、「○ちゃん、○ちゃん」と自分を呼ぶ声がします。それは、原爆被災者でその頃容態が悪くなり休んでいたホステスの声でした。彼女はびっくりして席に戻り、みんなに話しました。お客さんの中にお経をご存知の人がいて、お経をあげていただいたりしましたが、やはり亡くなっていたのはその時刻だったそうです。
 遠藤氏は、その話を本当だと信じたそうですが、連れの I は「そんな事、ある筈ありませんよねえ。」と何度も言っていました。
 二人はホテルに帰りましたが、遠藤氏は亡くなったホステスの名前を呼んで、「この I に、あの話が本当だと教えてやってくれないか。」と半ば本気、半ば冗談で頼みました。 この時、思いがけないことが起こりました。室内の電気が、ゆっくり、暗くなっていき、ゆっくりと、少しずつ・・・ 二人は口を開けて暗くなっていく天井の灯りやスタンドを見つめていました。時間はひどく長いものに感じられましたが、実際は10秒か20秒くらい、そして室内は真っ暗になりました。
 2、3秒して灯りがともった時、I の顔は文字通り真蒼だった・・・ そうです。

 他に虫や鳥などが人を恐れもせず寄ってきて、まるで亡き愛する人かのように振るまってくれる、家の中を明らかに自然現象ではないラップ音が聞こえるなどもあります。遺された者には、それが愛する故人からのメッセージということが一目瞭然だとも言われます。

 夢でメッセージを受けとることもあります。(参照:第8回大空の会「夢現象について」)
 フロリダ州に住む32歳のジーンは、子宮摘出手術を受けることになりました。外科手術ははじめてで、あと一週間という頃、だんだん不安になってきました。でも、名づけ親のミリアムが夢に出てきてくれました。「何もかもうまくいくから心配しなくていいよ。手術の間は、そばについていてあげるよ。お前を一人ぼっちにさせないからね。」とミリアムは言い、そして彼女を抱きしめてくれました。
 それから、ジーンは心がすっかりほぐれて、手術の時もミリアムがついていてくれる、ひとりじゃないってわかってましたから、落ち着けました。

 42歳のウォルトは、俳優で作家でトラックの運転手でもありました。彼は亡き祖父の来訪を受け、精神的変身をとげました。
〔ストレスだらけの環境でね。ひどいうつ状態になっていました。
 ある晩、祖父が入って来て、僕の寝ているベットに腰かけたんです。夢じゃないと思いました。目は覚めているつもりでした。腰かけた時ベットが揺れたのもわかったし、僕の脚に手が置かれた感触もちゃんとありましたから。祖父は見たこともないくらい嬉しそうな顔でした。カーキ色のシャツを着てましたっけ。
「どうしたんだいウォルト。おまえらしくないね。おまえはいつもご機嫌で自身満々だったじゃないか。」紛れもなく祖父の声で、ちゃんとニューイングランド訛りでそう言われました。 信じられませんでした。とっくに死んだ人なんですから。完全に目が覚めた時、やっぱり祖父だったってはっきりわかりました。
 無性にうれしくなりました。お祖父さんが僕を元気づけにきてくれたんですから。周囲の人間には、生きている人間には、僕を気遣ってくれる人なんか一人もいませんでした。なのに、僕のことを気にかけてくれる人がいた、どうしてるか心配してくれる人がちゃんといた、そう思うと、うれしくてたまらなかったんです。〕

 どうやら他界した家族は、私達に切実に必要とされているあいだは、そばにとどまることができるようです。そして、なぐさめを与えてくれることもあれば、人生の難局を乗り切る力を貸してくれることもあります。
 そうしたメッセージを受けとるコミュニケーション体験は、彼らが私達にいつまでも変わらぬ愛を注ぎ続けてくれているということのしるしのようでもあります。

                                  瀬野彩子



               
           第18回大空の会  2004年1月のテーマ

         『チベットの死者の書』から

 チベットで昔から伝わる死者に捧げる『チベットの死者の書』。日本人の考えとはまるで違うチベットの人達の考え、そういう見方もあったのかと思ってしまう書の紹介です。

 チベットは平均標高4000メートル、チベット高原の南部には雄大な雪域の自然風光を誇るヒマラヤ山脈があります。そして、海抜8848、13メートルの世界最高峰、チョモランマは、ネパールとの国境地帯にそびえ、古来から神密なところとして世界に知られています。
 
 そのチベットで生まれた『チベットの死者の書』は、8世紀半ばにチベット仏教の祖聖、グル・パドマサムパヴァが著したとされます。その後、埋蔵経としてセルデン河畔のガムポダル山中に秘匿しましたが、14世紀になって発掘されました。 しかし、仏教が伝来される以前からの土着の宗教であるボン教でも『チベットの死者の書』と同じ考えが伝えられていることから、『チベットの死者の書』的捉え方はチベットに古来から伝承されているもののようです。

 現在でもチベットでは宗派を問わず、臨終を迎えた人の枕辺で導師が『チベットの死者の書』の読経をはじめます。親族、友人達は臨終を迎えた人がこの世に執着しないよう遠ざけられ、導師に死への道先案内を託します。親族、友人達は哀嘆せず、皆で出来る限り善い行いをするよう心がけるべきとされます。
 『チベットの死者の書』は、第一巻から第三巻まであり、四十九日までの毎日の読経やその時の死者の心理状態、死者が出会うもの、死者の行くべき道を指し示すなど事細かに書かれています。死者が心の迷いをもたないよう、また生者も心の嘆きを抱えないよう『チベットの死者の書』は導きます。この書の最大の目的は、人を生・老・病・死の四つの苦悩に悩まされる輪廻の境涯から解脱させることです。

「ああ、善い人よ。よく聞くがよい。今こそ汝が仏の道を求めるときが来たのだ。汝が生前に得られなかった悟りを得る機会が訪れた。まもなく汝の呼吸は止まるであろう。そのとき、最初のバルドゥ(中間世)の強烈な、しかも美しい光が現れるであろう。その光だ。汝の前に現れた光に溶け合うのだ。この光は、汝をつくっていた本質なのだ。
 善い人よ。心惑わせることなくよく聞くがよい。汝の旅立ちの時が来た。現世の姿を離れて極楽浄土へ向かうのだ。決してこの世に執著してはいけない。不安におののくことはない。もう、心を乱すものは何もない。今からは自由なのだ。・・・ もうすぐ死ぬときが来る。汝は意識を物質である身体から、生まれながらの光の世界へと移すのだ。今までの身体は無常の幻なのだ。」
「ああ、善い人よ。よく聞くがよい。 汝に死が訪れた。この世との別れだ。死は万人に起こる。この世からあの世へ行くのは一人だけではないのだ。・・・  現世への執着は総て断ち切らねばならない。・・・ こうすることによって、そこに現れるのは自分自身の投影だけだ。したがって、いかなる幻影も恐れてはならない。自らの本性が生んだ幻影に惑わされることなく進めば解脱への道を歩めるのだ。・・・ 」(『チベットの死者の書』の「バルドゥにおける聴聞による大解脱のチカエ・バルドゥ〈死の瞬間の中有〉の光明のお導き」より)

  『チベットの死者の書』の中には、第10回大空の会のテーマの「臨死体験が教える死後の世界」とよく似た記述があります。
 「臨死体験が教える死後の世界」では、主に現代医学により蘇生した人達の臨死体験が書かれています。全盲の女性、サラが臨死体験した時は視力があり、交通事故で臨死体験した少年は美しいお花畑に行きました。
 『チベットの死者の書』では、「生前において視覚や聴覚に欠陥があっても、この死後の時にあってはもろもろの感覚器官は完全である。なにを言われても理解できる。」とあり、「・・・〈清浄なクァサルパナ〉の世界へと案内してくれるであろう。その証拠となる兆候として、空は曇りなく彼らの姿は虹と光に溶け入り、花の雨や薫香のかおりが満ちる。虚空には楽器の音や光明が現れ・・・」と、あります。

 この『チベットの死者の書』は、イギリスの人類学者、エヴァンス・ヴェンツがチベット僧、カジ・ダワサムドプの助けを借り10年近くの歳月をかけて英訳しました。そして1927年に出版しました。1935年にはドイツ語版が刊行されましたが、夢分析で有名なカール・ユング博士(参照:第8回大空の会のテーマ「夢現象について」)が解説をつけたことから世界的に注目を集めました。
 ユングは『チベットの死者の書』を、「我々が誕生のとき以来失ってしまった人間の魂そのものの持つ神性を全面回復しようとする通過儀礼の過程である。」と絶賛し、この書を生涯の伴侶にしたといわれます。

 『チベットの死者の書』には、生前からこの書を修練せよと書かれています。死者の書と呼ばれながら生きている人にその生の意味を問いかけ、現実を少しでも良く生きることの向こうに解脱があることを説いています。真実の生死(しょうし)を語っている、それが『チベットの死者の書』ではないかと思います。

                                   瀬野彩子


          参考文献
    『チベットの死者の書』 原典訳 (ちくま学芸文庫)
    『チベットの生と死の書』 ソギャル・リンポチェ (講談社)
    ホームページ『あの世への旅立ち』 濤野十三郎
    ホームページ『チベットの死者の書』
    ホームページ『チベット』
    



    
              第15回大空の会  2003年10月のテーマ

       『前世を記憶する子どもたち』について


 ヴァージニア大学医学部教授、イアン・スティーヴンソンが、世界中を長年かけて追跡した前世を記憶する子どもたち、実証さえともなうまだ幼い子どもの話の数々は、私たちの観点を揺るがすものがあります。『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社)は、全世界に衝撃を与えた本です
 スティーヴンソン教授のその注目すべき点は、文献を並べた卓上だけの研究ではなく、自分の足で世界各地に赴き、前世を記憶する子どもやその親達と会って集めた2000件もの事例による研究発表というところです。
 前世を記憶する子どもの話を聞き、可能な場合には前世の人物を調べその家族と会い、死亡時の病院のカルテを取得、子どもの話と一致しているかどうかの確認をとっています。
 また、前世の人物と生まれ変わった子どもとの対比や双方の家族の反応、更には何年か後にまた同じ子どもと会ってその後の様子を見るなど、徹底的に研究調査しています。
 スティーヴンソン教授のこの長年にわたる世界各地での追跡調査は、彼の凄まじきまでの行動力と探究心をうかがわせます。

 1967年にアメリカ、テキサス州のキャサリン・ライトは、恋人のウォルター・ミラーを交通事故で失いました。 キャサリンとウォルターは正式なものではなかったけれど、二人とも婚約しているものとして交際していたので、キャサリンは強いショックを受けました。
 ある日キャサリンは、ウォルターの夢を見ました。 彼は夢の中で、
「自分は、みんなが考えるように死んではいない。もう一度生まれ変わるつもりだ。また君に絵を描いてあげたい。」と、言っていました。 ウォルターは生まれ変わるのだろうなあとキャサリンは思いました。しかし、その時妊娠中だったウォルターの妹のキャロル・ミラー・デイビスの子どもとして生まれて来るのではないかと思っていました。
 その後キャサリンは他の男性と結婚し妊娠、1975年、息子のマイクルを産みました。マイクルは、3歳になった頃からウォルターが死亡した事故の様子を話すようになりました。「友だちと車に乗ってると、車は路肩を飛び出して、ゴロゴロと転がった。ドアが開いて、僕は外に放り出されて死んだ。」
 その他に、事故の直前に出席したダンス・パーティーがどの町で開催されたか、トイレに行った後で事故に遭ったこと、(事故の時)車のガラスが壊れたことや(事故の後)自分が橋を渡って運ばれたことなどを話しました。
 キャサリンは、マイクルの発言のほとんどがウォルターの事故と完全に符号することがわかっていました。 衝突の衝撃でウォルターは、車から投げ出され、首の骨を折って即死に近い状態で死亡しました。その後、ウォルターを乗せた救急車は事故現場付近にかかっている橋を通過しています。事故直前にトイレに行ったかどうかはわかりませんが、同乗していた友人に聞けば確認できることでした。

 シャムリニー・プレマは、1962年にスリランカの首都コロンボで生まれました。シャムリニーは話せるようになると、自分が記憶しているという前世時代のことを、両親はじめ興味を持って聞いてくれる者に次第に話して聞かせるようになりました。その前世時代の舞台となったのは、2キロほど離れたところにあるガルトゥダウという村でした。シャムリニーは、その村に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、”ガルトゥダウのお母さん”のことをよく話しました。また、姉妹のことやふたりの同級生のことなども話していました。
 前世での死の模様についてシャムリニーは次のように語りました。「朝、登校前にパンを買いに出たところ、道路が水浸しになっていた。そこへバスが走って来て水をはねかけられ、水がたまった田んぼに落ちた。両手を上げてお母さんと呼んだが、その後眠ってしまった。」
 ガルトゥダウに住んでいたヘマセーリー・グネラトネという11歳の少女は、シャムリニーが語ったとおりの状況で、1961年に溺死していました。
 3歳の頃、シャムリニーは、街角でばったり出会ったヘマセーリーの従兄を見つけました。それから一年以上たった時、やはり街角でヘマセーリーの姉を見つけました。そうこうするうちにシャムリニーは、ガルトゥダウに連れて行って欲しい、特に”ガルトゥダウのお母さん”のところへ行きたいと執拗に要求するようになりました。 結局、シャムリニーの父親が彼女をガルトゥダウのグネラトネ家に連れて行きました。
その後もシャムリニーは、グネラトネ家を訪れるようになりました。

 フィンランドのヘルシンキに住むペルティ・ヘイキオは、1975年に病死しました。
 その後、ペルティの姉、マリヤは妊娠しましたが、中絶を考えていました。そんな時ペルティが夢に出て来て、「子どもは、そのままにしといて。」と、言いました。
 1976年、マリヤは息子のサムエル・ヘランデルを産みました。 一歳から二歳にかけてサムエルは、母方叔父の生涯を記憶していることをうかがわせる言動をとりはじめました。
 サムエルは、ペルティの写真を見るたびに「これは、僕だ。」と、言っていました。母方祖父の写真を見て「父さんだ。」と言い、ギターやコールテンの上着、古ぼけた時計などペルティの遺品をいくつか見分けました。がらくたの詰まった引出しに放り込まれたペルティの古時計を見た時、「これは、僕のだ。」と飛び付いて「自分の手元に置く。」と、言いました。ペルティの死後、母親(サムエルの母方祖母)がどれほど涙を流したかについても語りました。 また、ペルティが埋葬されている墓地に連れて行かれた時、サムエルはペルティの墓を見て、「僕のお墓だ。」と言いました。

 前世の癖や嗜好やあざが今世に持ち込まれることも多いようです。
 アラスカのヴィクター・ヴィンセントは、姪のコーリス・チョトキン・シニア夫人に「自分が死んだら、おまえの息子として生まれ変わるつもりだ。」と言い、自分の手術痕をふたつ見せ、「このふたつの痕跡と同じ場所にあざがあるから(来世では)すぐに見分けがつくはずだ。」と、語りました。
 1946年にヴィクター・ヴィンセントは死亡、一年半ほど後にチョトキン夫人は長男を出産、以前伯父のヴィクター・ヴィンセントが見せてくれたふたつの手術痕と全く同じ場所に母斑がありました。

 前世を語るのは話ができはじめる頃から5歳くらいまでが多く、その場合でも8歳くらいには忘れてしまうことが多いようです。 赤ちゃんから5歳くらいまでは、もしかするとみんな前世を覚えているのかもしれません。しかし前世を語っても、親が関心を示さなかったり訳が分からないまま過ぎてしまうことも多いように思います。
 ほんの少しだけ前世を語る子どからレバノンのスザンナ・ガーネムのように親族23人と知人2人の名前を記憶している例など様々ですが、前世を記憶する子どもたちは、私たちが生から生への旅人であることを語ってくれるすばらしい証人なのかもしれません。

                                                       瀬野彩子


             第13回大空の会  2003年6月のテーマ

          霊能大国 イギリス

 女王の国、イギリス。コナン・ドイル著のシャーロック・ホームズは世界にファンをもち、かつてダイアナ妃は世界を魅了し、今はハリー・ポッターが世界を席巻しています。このイギリス、実は霊能大国なのです。

 コナン・ドイルは、1859年イギリス、エディンバラに生まれました。エディンバラ大学医学部卒業、後に医学博士号を取得しました。 1882年、ポーツマス市に医院を開業しましたが、患者が来ないので暇をもてあまし書きはじめたとされるのが、『シャーロック・ホームズ』です。 コナン・ドイルは、1900年のボーア戦争に軍医として参戦、そのひどい惨状に落ち込んで帰国したといわれます。また、第一次世界大戦では長男を失いました。 その後、心霊学を研究、世界に心霊学を広める活動をしていきました。『心霊術史』、『コナン・ドイルの心霊学』などの著書もあります。 コナン・ドイルは、1930年に亡くなりましたが、生前に死後の世界を伝えに来ると予告し、その通りミネスタという女性を霊媒として7ヶ月間、死後の世界を人々に伝えました。そのコナン・ドイルの死後のメッセージは本になり世界に出版されました。現在の日本でも講談社から『コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ』として出ています。

 イギリスには、1960年代後半から50年あまりにかけて高位霊、シルバー・バーチが出没し、人々に教訓を与えました。 シルバー・バーチの霊媒として選ばれたのは、モーリス・バーバネル氏。シルバー・バーチによると、バーバネル氏が生まれる前から彼を霊媒として選んでいたそうです。そして、「英国新聞界の法王」と言われたハンネン・スワッハー氏が協力、ハンネン・スワッハーホームサークルでシルバー・バーチの霊言を聞き、それを新聞に掲載していきました。当時、世界的にも話題となりました。 今も『シルバー・バーチの霊訓』一~十二巻(潮文社)として出版されています。シルバー・バーチのおだやかで美しい旋律を奏でるような言葉の中に、人間への厳しい訓戒があります。人はなぜ生きるかを教示してくれる永遠なる珠玉の書です。

 伝統を重んじる国、イギリス。街には何百年もたつような古い建物が建ち、人々は古い道具を大事にし、古い習慣が続いています。古くから存在する心霊研究も重んじ心霊研究所は他にもたくさんあります。
 コナン・ドイルは、心霊研究をはじめた理由をこう語っています。
「第一次世界大戦が始まり、私たちは魂の問題を真剣に考え、自分自身の信条をしっかりと見つめ直し、その価値を再評価することを迫られることとなった。苦しみもがく世界を目前にして、若者の命が花開こうとするその直前に奪われたニュースを毎日のように耳にし、愛する夫や息子がどこに行ってしまったのかわからずにいる妻や母親を見る中で、私は突然理解した。私がかくも長い間もてあそんできた心霊主意という問題は、科学の原則を逸脱した力についての研究であるだけではなく、まことに素晴らしい可能性を秘めた問題であり、この世とあの世の壁を打ち砕くものであり、あの世からの直接的で疑うことのできないメッセージであり、人類が最も苦しんでいるときにあって、希望と導きを呼びかけているものであると理解したのであった。」

                                  瀬野彩子




        第12回大空の会  2003年6月のテーマ

        『スピリチュアル・ノート』より
 

 全米ベストセラーとなった『スピリチュアル・ノート』(PHP研究所)、『Blessings from The Other Side』、『Life on The Other Side』などの著者、シルビア・ブラウンは、アメリカのミズーリ州カンザスシティーに生まれました。47年間サイキックとして活躍、一日に20件ものリーディングをし、アメリカ中の100人以上の医師たちと共同で霊的調査を行いました。また、「モンテル・ウィリアムス・ショー」などテレビにも多数出演、大人気のサイキックです。
 ある時、シルビア・ブラウンはクライアントにリーディングを行うだけでなく、実際にガイドブックとして役に立つような本をつくれないかと考えました。そこで、友人の映画脚本家、リンジー・ハリソンに一緒に本をつくるようもちかけました。 この『スピリチュアル・ノート』は、シルビア・ブラウンが口述し、脚本家リンジー・ハリソンが筆記したものです。だから、話しかけるようにやさしく書かれていて、とても読みやすい本になっています。 また、シルビア・ブラウンが彼女の母親に虐待されたこと、夫のドメスティックバイオレンスのことなど包み隠さず正直に自分の人生について語っているところは、この本の信用性を高めています。読んでいくうちに、彼女に親しみを感じる人は多いのではないでしょうか。
 まずは、「これは、あなたのための本です。」から始まります。「あなたが、神さまから与えられた力をどのように使うか、あなたとあなたの愛する人々の人生をどうしたら良いものに出来るか、スピリットガイドや天使たちに導かれ、逝ってしまった愛する人と会い、あなたの過去の人生や魂の永遠を知るためのものです。・・・死ぬことを恐れなくなり、生きることも恐れなくなるための本です。」

 シルビア・ブラウンは47年間、一日に20件ものリーディングを行いましたので、数知れない程の人の過去世を見、スピリットガイドと出会いました。またそればかりでなく、彼女を訪ねた人の健康状態を診ることに秀でた能力をもっていたようです。
 ある女性が、リーディングのためにシルビア・ブラウンのオフィスにやってきました。彼女はとてもきれいな人で、全くどこも変わったところがないように見えました。でも、彼女が椅子にまさに座ろうとした時、シルビア・ブラウンは、
「座ってる暇なんかありません。すぐにあなたを泌尿器科に連れて行かなければ!」と、叫びました。
 シルビア・ブラウンの友人の医者がすぐに彼女を診てくれましたが、2時間後電話をしてきました。
「彼女は、なんて幸運だったことだろう。非常に重い膀胱炎にかかってたんですよ。もしもう少しでも遅れたら、とんでもないことになっていたところでした。」
 また、別の女性は血液の難病にかかり、助からないと診断されていました。しかしシルビア・ブラウンは、その女性に必要なのは優秀な内分泌の専門家に甲状腺を調べてもらうことだとわかりました。その結果、ホルモンをつくるレベルが異常に下がっていたことが判明しました。それは充分手当ての方法もあり、もちろん治らない病気などではありませんでした。

 シルビア・ブラウンによると、私たちの細胞は魂の記録を吸収し、プログラムされたように反応します。また、細胞の一つ一つが生きていて過去世の記録ももっています。私たちの過去世は詳しく仕舞い込まれ、ただ鍵をあけて表現されるのを待っているそうです。
 会員用貸し出しテープとしてシルビア・ブラウンが教えてくれる「過去世への旅」のテープを用意しました。どうぞ、試してみてください。
 また、シルビア・ブラウンは逝ってしまった愛する人々についてこう語っています。
 あなたが愛して、そして逝ってしまった人たちは皆生きています。あちら側で健やかに、幸せに。そして、しばしばあなたを訪れているのです。私のクライアントたちは、死んでしまった愛する人が50年も60年もたっても、なお彼らの周りにいることを知って驚きます。
 実際、私たちが覚えてさえいない前世で愛した人が訪ねて来ることも珍しくありません。
 あちら側では、時間は意味がないようなものですから、何十年も前に別れを告げていても、彼らにとってはほんの数秒前なのです。決して彼らは忘れることはないのです。彼らは、彼らがとても幸せで、健やかで、楽しく暮らしていることを何とか知らせようとしているのです。
 だから、夢に出てきてメッセージを伝えてくれるのかもしれません。
 シルビア・ブラウンは、断言します。
 本当は死というものはありません。私たちの魂は、いつも生きていてこれからも生き続けます。人は地上に生まれる事を決意すると、克服し学ばなければならないこと経験したいことが何であるかに基づいて、ブループリント(青写真)をつくります。それは、両親、家族、子供時代から始まり、仕事、健康、経済的な状態、結婚、子供、どのくらい生きるかということまで全部含んでいます。私たちは、自分が最も学たいと思うものを選びそれに挑戦しているのです。
 そして、私たちはブループリントに沿うような人生が歩めるよう、いつもスピリットガイドや逝ってしまった愛する人たちに囲まれています。
 私たちは、本当は誰も失ったりはしないのです。

                                  瀬野彩子



              第10回大空の会  2003年4月のテーマ
 

              臨死体験が教える死後の世界

 死の淵から生還した人により語られる臨死体験そのかいま見た向こうの世界とはどんなものなのでしょうか。そして、私達に何を教えてくれるのでしょうか。
 臨死体験は、1970年代に入り医学博士のエリザベス・キューブラー・ロスとレイモンド・ムーディーの研究をきっかけとし、学問的研究の対象とされるようになりました。今では精神神経医、脳生理学者、心理学者、哲学者、文化人類学者など多方面の学者がこの研究に関心を寄せています。1990年には、ワシントンのジョージタウン大学で13ヶ国から300人の研究者と体験者を集めて、臨死体験研究の第一回国際会議が開かれました。
 1982年のアメリカの調査では、臨死体験者は全米成人人口の5パーセント、つまり800万人に起こっていると発表されています。 杏林大学医学部の秦教授のグループが四年間に救急外来に運び込まれた意識不明患者で、蘇生して知的障害を残さなかった33人のうち12人が臨死体験をしていました。 他の国々でもこういう人達の三割強が臨死体験をしているという調査結果がでており、どうやら臨死体験は人類に普遍的な現象であるようです。 もっとも最近では、蘇生した患者にドクターのほうから「何か見なかったか?」、「こういう時は、よく不思議なものを見るんだよね。」と聞くことが多いといわれます。

 平安時代の『今昔物語』、『日本往生極楽記』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』にも臨死体験がたくさん出てきます。また、ヨーロッパの古い文献に残る臨死体験を詳しく調査したキャロル・ザレスキーの『あの世への旅』(オックスフォード大学出版局 本邦未訳)もあります。

 典型的な臨死体験は、『かいまみた死後の世界』や『いまわのきわに見る死の世界』などに書かれています。 〔私は瀕死の状態でした。ドクターが私の死を宣告しています。大きく響きわたる音が聞こえはじめたかと思うと、暗い長いトンネルの中を猛烈な速度で通り抜けていきました。自分の肉体から抜け出しのでした。私は自分の肉体とそのそばにいる人達の斜め上あたりにいて彼らを見ています。私の周りには既に死亡している親戚、友達の霊がいました。それから、私は光に出会います。強いけれどちっともまぶしくない光です。その光は、言葉で到底説明しきれないくらいの愛と温情で私を包み込み保護してくれました。それから、自分の人生の主な出来事を連続的に再生していました。ふと気が付くと、とてもきれいな川のそばに立っています。川の向こうにはとてもきれいなお花畑があり、何人かの人がいます。私はその川を渡ろうとしました。しかし、向こう岸にいる今は亡き私の肉親が「来るな。お前にはまだやるべきことがある。」と、言います。私はこのきれいなところにいたいのに・・・。ふと見ると、私は自分の身体に戻っていました。〕
  ある日、ダラス市民病院の医長、ラリー・ドッシー博士が、サラという女性患者に全身麻酔をかけ手術をしました。ところが、緊急事態が生じ一時心臓が停止してしまいました。その間、サラは自分の身体から抜け出し手術室を浮遊した状態で見、他の部屋もさまよったといいます。彼女の心臓が停止した時のドクターと看護婦の緊迫したやりとり、手術台にかかっていたシーツの色、主任看護婦のヘアースタイル、そればかりか各部屋の配置、手術室外の廊下の手術予定表に書いてあった走り書き、廊下の端にある医師控え室で手術が終わるのを待っていた外科医の名前、また麻酔医が左右別々の靴下を履いていたという些細なことまでサラの証言はどれも正確なものでした。しかも、これらの情報はたとえサラに意識があったとしても、決して見えるはずのないものでした。なぜなら、サラには生まれつき視力がなかったのですから。
 エリザベス・キューブラー・ロス博士の研究によると、過去10年以上も視力がなく目の見えない患者たちが臨死体験中に自分を見舞いに来た人々の洋服や宝石の色、セーターやネクタイの色や形までをかに「見て」正確に描写することが証明されています。 手、足のない人も亡くなってから現われる時、手、足をもつ完全な身体になって現われて来るといわれますが、全盲の人も同じ現象といえます。

 昭和60年10月21日、歌手のフランク永井氏は首吊り自殺を図りました。氏によると、首を吊った瞬間に呼吸困難となり視界が一瞬真っ赤になった後、真っ黒になり、奇妙な音が聞こえはじめました。その音は次第に大きくなり氏は暗い穴のようなトンネルの中に吸い込まれていきました。そして急に上昇、浮遊しながら自由に壁や扉を通り抜け、下界の様子を見ることができました。柔らかい光に包まれ再び急上昇、ふと気付くと平地に立っていました。前方の花園から美しい音楽とともに今は亡き肉親や友人の声が聞こえてきます。懐かしさと会いたい気持ちに駆られそちらへ歩き出しました。そこには渡ると死に、引き返すと生き返るという三途の川がありましたが、氏はなんらかの力によって引き戻され、蘇生しました。

 心臓発作の後に蘇生したある女性は、臨死体験の感想をこう言います。
「最高にすてきな気分になったのです。安らぎ、満足、すっかりくつろいだ気分それ以外は何も感じませんでした。平穏そのものでした。心配の種がすっかり消え去ってしまったような感じがしました。なんて穏やかなのでしょう、少しも苦しくないわ、とひそかに思いました。」
 ベトナム戦争で銃弾をうけ、臨死体験した男性も、
「非常にほっとしました。痛みは全くありませんでしたし、あんなゆったりした気分になったのは、はじめてでした。すっかりくつろいでいい気分でした。」と、語っています。
 そして、再び生き返った感想としては、
「生きているということは、拘禁されているようなものです。生きている時には、肉体が精神の獄舎であることがどうしても理解できません。死はすばらしい解放です。獄舎からの脱走のように。この説明が私には一番ぴったりくるように思います。」と、言っています。

 ある少年は、交通事故で臨死体験をしました。川を渡り向こうの美しいお花畑に行きましたが、曽祖父に「今度、役目を果たしたとき来い。」と、言われ対岸に戻されました。しかし、またあの美しいお花畑に行きたいと思い行くと今度は曾祖母が現われ、「今すぐ帰れ」とまた戻されたそうです。この少年はすべての人に何か役割が必ずあるはずだと強く感じたそうです。
 他の臨死体験者達も自分には果たすべき務めがあるから返ってきたと言います。ある人は、向こうで「お前は物質的世界に戻り、そこに生きる者たちに別の世界の様子を伝えなければならない。」と、言われたそうです。
 美しいお花畑にいられるのは今生での役割を果たした人だけのようです。

 近代になって臨死研究を教育の中に採り入れる医学部、看護学科、その他の保健衛生関係の教育機関が増加しつつあります。臨死体験から末期患者への対応の仕方を学び、深い悲しみに暮れる遺族カウンセリングの一助にするためです。今後、ますます臨死現象の重要性に対する認識が高まっていくものと思われます。

                                  瀬野彩子


        参考文献
『かいまみた死後の世界』レイモンド・ムーディー(評論社)
『いまわのきわに見る死の世界』ケネス・リング(講談社)
『臨死体験』立花隆(文春文庫)
『証言・臨死体験』立花隆(文芸春秋)
『臨死体験 生と死の境界で人はなにを見るのか』ブルース・グレイソン チャールズ・P・フリン共編(春秋社)
『「死ぬ瞬間」のメッセージ ある少年の臨死体験』野堀拓路 カール・ベッカー(読売新聞社)
『死の体験 臨死現象の探求』カール・ベッカー(法蔵館)
『「死」が教えてくれること』カール・ベッカー 坂田昌彦(角川書店)
『「死ぬ瞬間」と臨死体験』エリザベス・キューブラー・ロス(読売新聞社)
『神は人を何処へ導くのか』鈴木秀子(クレスト社)
『臨死体験 光の世界へ』メルヴィン・モース ポール・ペリー(TBSブリタニカ)
『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』バーバラ・ハリス ライオネル・バスコム(講談社)
『光のなかに再び生まれて 臨死体験から学ぶ人生の意味』シェリー・サザランド(人文書院)

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